ミニチュアカー ミュージアム

自動車の歴史 時代/自動車メーカー別

 

DELAHAYE 145 CHAPRON 1946 FRANCE

DELAHAYE 145 CHAPRON
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
DELAHAYE 145 CHAPRON


DINKY DY14 1/43 126mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約5.5m 全幅約1.6m エンジン 変速機: V型12気筒 4.5L 240HP 4段変速
性能: 最高速230km/h  データーベースでドライエのミニカー検索

ドライエ 145 シャプロン フランス 1946年

 

 1930年代後半のGPレース(現在のF1に相当)ではドイツのナチス政権が国策でバックアップするメルセデス ベンツ/アウト ウニオンのドイツ勢が圧倒的に強く、ブガッティ、ドライエ、ドラージュのフランス勢がこれに対抗していました。1937年にドライエ 135の後継車として145が登場しました。145は主にGPレース用に開発された高性能車で3本のカムシャフト、2つの点火装置、3つのキャブレターを備えたV型12気筒4.5L(240HP)エンジンを搭載していました。145のレース仕様は1938年のベルギー ポー(PAU)GPでは、メルセデス ベンツ W154を下して優勝しています。(実車画像→ ドライエ 145 GPレース仕様 1937)

 

 1939年に第2次世界大戦が勃発し、ドライエ社は軍用車(トラック)の生産に集中しました。戦後の1946年には乗用車生産を再開し、戦前の135Mを後継する高級車235が1951年に登場しました。戦後のフランスでは高級車に高い税金が課されたことによりドライエのような高級車は売れなくなり、販売不振となたドライエは1954年にオチキス社に吸収されて消滅しました。

 

 

 ミニカーはマッチボックス傘下で一時的に復活したディンキー製で1990年頃に発売されました。このマッチボックス傘下のディンキーのミニカーは、往年のディンキーのファンだったマニア向けとして作られたようで、これ以外にキャディラック 62 クーペ デビルやベントレー R コンチネンタルなど約40車種ほどがありました。昔のマニア向けでしたので、1990年代のミニカーとしてはややレトロな作風でした。このドライエ 145は1946年式となっているので戦後にコーチビルダー アンリ シャプロンが架装したクーペをモデル化しているようです。レトロな作風で実車の雰囲気がうまく再現されていて、当時のミニカーとして良く出来ていました。ドライエのフロントグリルは剣道の面に似ているといわれますが、この車のグリルはまさにその典型的なものです。これ以外のドライエ 145のミニカーはミニチャンプスのクーペとレース仕様、スパーク(レジン製)のレース仕様などがあります。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

DELAHAYE 145 CHAPRON 1
DELAHAYE 145 CHAPRON 2

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CHRYSLER TOWN & COUNTRY 1947 USA

CHRYSLER TOWN & COUNTRY
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
CHRYSLER TOWN & COUNTRY


VITESSE 491 1/43 127mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約5.4m 全幅約2m エンジン 変速機: 8気筒 5.3L 135HP 4段変速
性能: 最高速 不詳  データーベースでクライスラー タウン&カントリーのミニカー検索

クライスラー タウン&カントリー アメリカ 1947年

 

 ステーション ワゴンとは車体が2ボックスで室内には座席とそれに連続する荷室を備えている車体形式を示します。ワゴンの前にステーション(駅)が付いている理由は、当初この形式の車が列車で駅に到着した人と荷物を最終的な目的地まで運ぶ役割をしていたからだそうです。この形式の車両は商用車として扱われていましたが、それを乗用車的に使うことを最初に提唱し積極的に進めたのはアメリカのフォードでした。1910年代にフォードがT型に初めてステーションワゴン的なモデルを製作しましたが、当時の車体はまだ手作業による木製でしたのでこの車は「ウッディ(Woody)」と呼ばれていました。

 

 キャビン部分に木材を使用したウッディ ワゴンで最初にスチール製の屋根(ハードトップ)を備えたのは、戦前の1941年に登場したクライスラー タウン&カントリー 初代でした。4ドア8人乗りのステーション ワゴンでハードトップは同時期のインペリアルの物を流用していました。(実車画像→ クライスラー タウン&カントリー 1941) タウン&カントリーの戦後型は1946年に登場しました。同時期のインペリアルがベースで8気筒5.3L(135HP)エンジンを搭載し、4ドアセダンと2ドアコンバーチブルがありました。この本物の木材を使ったウッディ ワゴンは1950年までしか作られず、現存するものが少ないことから現在でも人気があります。

 

 

 ミニカーは1989年に発売されたビテス製です。前述したウィンザーのバリエーションで戦後型のタウン&カントリー 2ドアコンバーチブルをモデル化しています。1950-1960年代のアメリカ車を10数種類ほどモデル化したビテス初期のアメリカ車シリーズの1台です。この車の最大の特徴である木材を使ったキャビンがプラスチック製パーツでそれらしく再現され、室内などの細部も良く再現されているので、当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。これ以外のタウン&カントリーのミニカーはダンバリー ミントの1/24、フランクリン ミントの1/24、マッチボックス、マトリックス(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

CHRYSLER TOWN & COUNTRY 1
CHRYSLER TOWN & COUNTRY 2

 以下は1990年頃に発売されたフランクリン ミント製のクライスラー タウン&カントリー 1950 (1/43 型番KE20)の画像です。600台ほどしか生産されなかった本物の木材を使った最後のタウン&カントリー 1950年式をモデル化しています。1950年代の代表的な車を1/43でモデル化したフランクリン ミントの50年代シリーズの1台です。灯火類をメッキパーツで表現したややレトロな作風ですが、木材パネル、クロームモール、室内などの細部が良く再現され当時のミニカーとしてはかなり良い出来ばえでした。ボンネット/ドアが開閉し床下部分のエンジンやサスペンションも再現されています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
CHRYSLER TOWN & COUNTRY 3
CHRYSLER TOWN & COUNTRY 4

 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの拡大画像です。エンジンルーム内はラジエータやエアフィルターなどの補器類も良く再現されています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
CHRYSLER TOWN & COUNTRY 5
CHRYSLER TOWN & COUNTRY 6

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ALFA ROMEO 6C 2500 FRECCIA D'ORO 1947 ITALY

ALFA ROMEO 6C 2500 FRECCIA D'ORO
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ALFA ROMEO 6C 2500 FRECCIA D'ORO


MINICHAMPS 403120483 1/43 114mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.92m 全幅約1.95m エンジン 変速機: DOHC 6気筒 2443cc 90HP 4段変速
性能: 最高速155km/h  データーベースでアルファ ロメオ 6Cのミニカー検索

アルファ ロメオ 6C 2500 フレッチア ドーロ イタリア 1947年

 

 アルファ ロメオは第2次大戦では軍需品の生産に従事し、戦火でほとんどの工場を失いました。戦後の1946年には6C 2500 戦前型の再生産が始まり、1948年に社名をS.A. ALFA ROMEO.からALFA ROMEO S.P.Aに改めました。なおアルファ ロメオは1930年代に国有公社化されましたが、その体制は1986年にフィアット社傘下となるまで続きました。1947年には6C 2500を改良したフレッチア ドーロ(FRECCIA D'ORO:金の矢の意)が登場しました。フレッチア ドーロは戦前型よりホイールベースが長く、フラッシュサーフェースを採用した戦後型デザインのボディを剛性を向上させる為にフレームに溶接していました。

 

 このフレッチア ドーロ以外にもピニンファリーナやトゥリングなどのカロッツェリアが華麗なボディを架装した6C 2500 スポルト/ツーリスモなどが1952年まで生産されました。戦前のアルファ ロメオは少量生産の高性能高級車メーカーでしたが、戦後の6C 2500はその路線の最後を飾る高級車となりました。その後アルファ ロメオは時代の変化に対応し、高性能なツーリングカーを量産して比較的低価格で提供するといった新路線に転換しました。

 

 

 ミニカーは2004年に発売されたミニチャンプス製です。実車が全長4.9mほどの大柄な車ですので、ミニカーも全長114㎜と結構でかいです。トゥリング製の豪奢なボディを渋い濃紺のカラーリングでうまく再現しています。この6C 2500から続いているアルファの象徴である細い盾型のフロントグリル、ワイヤースポークホイール、内装などの細部もミニチャンプスらしいリアルな仕上げで、とても良くできています。これ以外のフレッチア ドーロのミニカーは、ウエスタンモデル(ホワイトメタル製)、JOLLY MODEL(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

ALFA ROMEO 6C 2500 FRECCIA D'ORO 1
ALFA ROMEO 6C 2500 FRECCIA D'ORO 2

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FERRARI 125S #10 MILLE MIGLIA 1947 ITALY

FERRARI 125S #10 MILLE MIGLIA
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FERRARI 125S #10 MILLE MIGLIA


BRUMM R182 1/43 84㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約3.6m エンジン 変速機: V型12気筒 1.5L 100HP 5段変速
性能: 最高速170km/h  データーベースでフェラーリ 125のミニカー検索

フェラーリ 125S #10 ミッレ ミリア イタリア 1947年

 

 前述したアウト アビオ コストルツィオーネ社は第2次大戦後にレーシングカーの開発を再開しました。エンツォ フェラーリはアルファ ロメオ在籍時の同僚であったジョアッキーノ コロンボの協力を得て、高性能なV型12気筒エンジンを開発しました。エンツォ フェラーリは1947年にフェラーリ社を創立し、同年にフェラーリの名前を冠した最初のモデルである125Sが登場しました。125Sは新開発したV型12気筒1.5L(100HP)エンジンを搭載し、5段変速で最高速は170km/hの性能でした。名前の125は1気筒あたりの排気量が125ccであることを表しています。フェラーリは第1号車から高性能な12気筒エンジンを使っていたのです。(しかも1.5Lで12気筒です!)

 

 125Sにはロードカー仕様の125GTも計画されましたが、実現しませんでした。エンジンをスーパーチャージャーで過給して230HPにチューンした、フェラーリ初のF1マシン 125 F1が1948年に登場しました。 (実車画像→ フェラーリ 125 F1) 125 F1と同時期に活躍したアルファ ロメオ 158もジョアッキーノ コロンボの設計でしたので、とても良く似ていました。 125Sは3台生産され、パルマ サーキットなどイタリア国内のレースで活躍しました。125Sはレースに使用された後、後継車の159S、166のベースとして再利用されました。

 

 

 ミニカーは1989年に発売されたブルム製です。1947年のミッレ ミリアの出場車(レース結果はリタイア)をモデル化しています。独特のフロントの顔つきがそこそこうまく再現されているなど、当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。インパネのメーター類も当時のミニカーとしてはリアルな仕上げでした。ブルムはバリエーションで125Sのデビュー戦のピアチェンツァ サーキット仕様など4種類をモデル化しています。これ以外の125Sのミニカーは、アートモデル、イクソ、マテルの1/18などがあります。125 F1はイクソがモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。リアの画像を見ると、この当時のレースカーのテールライトは丸形1灯式だったようです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

FERRARI 125S #128 MILLE MIGLIA 1
FERRARI 125S #128 MILLE MIGLIA 2

 以下は1989年に発売されたブルム製のフェラーリ 125S #21 ペスカーラ サーキット 1947 (1/43 型番183)の画像です。上記のバリエーションで、1947年のペスカーラ サーキットに参戦した車をモデル化しています。レース結果は2位でした。なおこの車は正確にいうと125Sを改良して1.9L(125HP)エンジンを搭載した159Sになります。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
FERRARI 125S 3
FERRARI 125S 4

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TOYOTA TOYOPET SA 1947 JAPAN

TOYOTA TOYOPET SA
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TOYOTA TOYOPET SA


REEN REPLICA 2 1/43 89mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約3.8m 全幅約1.59m エンジン 変速機: 4気筒 995cc 27HP 3段変速
性能: 最高速87km/h  データーベースでトヨタ AA型/SA型のミニカー検索

トヨタ トヨペット SA型 日本 1947年

 

 終戦後すぐにトヨタ自動車は小型車開発を決定し、1947年には試作車が完成しました。同年にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)から年間300台に限り乗用車生産が許可されたので、この車はトヨペット SA型として発表されました。なおトヨペット(TOYOPET)はこの時に付けられた愛称でした。SA型は全輪独立懸架の鋼板バックボーンフレームに鋼板ボディを載せた極めて先進的な構造で、戦前の欧州製小型車をお手本にしていました。流線型のボディも欧州的で、ちょっと変わったデザインのグリルが付いていました。新開発した4気筒995cc(27HP)のS型エンジンを搭載し、3段コラムシフトで最高速87km/hの性能でした。

 

 戦後いち早く発売されたSA型は意欲的な車でしたが、少し時代に先んじすぎていました。当時の乗用車はほとんどがタクシーに使われましたが、全輪独立懸架は当時の劣悪な道路で酷使される用途には不向きでしたし、2ドア仕様もタクシーには不向きでした。 そんなわけでSA型は1952年まで約200台ほどしか生産されず、営業的には失敗作でした。ただSA型はその後のトヨタの自動車開発にとって、極めて重要な布石となったと思われます。トヨタ自動車が欧米メーカーと技術提携せず、独自技術に拘ったのもこの車での経験が有ったからだと思われます。

 

 

 ミニカーは1970年代に個人コレクターが起ち上げたブランドのリーンレプリカ製です。リーンレプリカは1/43のホワイトメタル製ミニカーで、初期の国産車を6車種モデル化していました。個人が私費を投じて製作していたのでコストがかけられず、ウィンドーや室内の造形は省略されて初期のビンテージミニカーのような素朴な造りでした。リーンレプリカはそれまでミニカーになっていなかった車をモデル化しており、このトヨタ SA型もその一台でした。室内の造形がない素朴な作りですが、プロポーションはしっかりしていて実車の雰囲気が良く再現されています。トヨタ博物館や日本自動車博物館にある実車(レプリカ?)と比べると、屋根の形状が少し違っています。なお2022年現在でもトヨタ SA型のミニカーはこれしかありませんので、車種的に大変貴重なミニカーです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

TOYOTA TOYOPET SA 1
TOYOTA TOYOPET SA 2

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