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ERA R1B (GP2) イギリス 1935年
ERAとはEnglish Racing Automobilesの略で、イギリスの威信を高める為にGPレーシングカーを製作する会社として1933年に創立されました。創立者はレイモンド メイズ(Raymond Mays)とピーター パーソン(Peter Berthon)で、レーサーのハンフリー クック(Humphrey Cook)が資金援助しました。本格的なGPマシン開発には莫大な資金が必要な為、当初は現在のF2クラス相当のヴォアチュレットクラス(GP2)のマシン開発を行いました。
最初に開発されたタイプ R1Aは1934年に登場しました。エンジンはライレーの6気筒エンジンを改造した1.1L/1.5L(180HP)/2L(250HP)があり、スーパーチャージャー過給していました。タイプ R1Aはその後1938年までにタイプ R1B、R1C、R1Dに発展しました。ERAは初期トラブルを解決し改良とパワーアップを行い、第2次大戦前にはヴォアチュレットクラスで活躍していました。
戦後 創立者のレイモンド メイズとピーター パーソンはERAを去り、新たにBRM(British Racing Motors)を創立しました。ERAは1947年にレーサーのレスリー ジョンソン(Leslie Johnson)が買い取り、戦前に開発されていたタイプ E(6気筒1.5Lエンジン搭載)でレースを再開しました。(実車画像→ ERA タイプ E) 1952年からGPレースがF2規格となりました。ERAはブリストルの6気筒1.5Lエンジンを搭載した新開発のタイプ Gで参戦しましたが、活躍できませんでした。結局資金不足でレスリー ジョンソンはブリストルにERAを売り払い、シーズン終盤にレースから撤退しました。(実車画像→ ERA タイプ G)
ミニカーは1986年頃に発売されたマッチボックス製のYシリーズです。ERA R1B 初期型をモデル化しています。縮尺1/35と中途半端なサイズですが、サスペンション/ドラムブレーキをリアルに再現しているなど、当時のミニカーとしてはそこそこの良い出来ばえでした。ERAの量産ミニカーは2023年現在でもこれしか無いようなので、その点では貴重なミニカーです。マッチボックス製のYシリーズにはこのERAのように他社がモデル化していないマイナーな車種がありました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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メルセデス ベンツ 260D (W138) ドイツ 1936年
戦前の中型車メルセデス ベンツ 230 (W21 6気筒2.3L(55HP)エンジン搭載)に、4気筒2.6L(45HP)のディーゼルエンジンを搭載したのが260Dで、世界初のディーゼルエンジン搭載乗用車として1936年に登場しました。経済性に優れたディーゼルエンジンを搭載した260Dはタクシーや商用車として使われることを想定した車で、実際に初期の260Dは全てタクシーとして使われました。1937年以降の260Dは新型中型車230(W143)をベースにしたものに変わり、個人ユーザー向けのディーゼル乗用車としても普及していきました。
ベンツは1909年にディーゼルエンジンの特許を取り、1923年に世界初のディーゼルトラックを発売しました。その後メルセデス ベンツは乗用車向けのディーゼルエンジンの開発を進め、ボッシュ製による燃料噴射ポンプの開発などの協力を得て小型軽量化した乗用車向けディーゼルエンジンを260Dで実用化しました。現在のヨーロッパで普及しているディーゼルエンジン搭載乗用車の元祖が260Dでした。
ミニカーは2010年に発売されたイクソ製です。メルセデス ベンツ 260D 初期型のタクシー仕様をモデル化しています。緑/黒のボディカラーはタクシーのカラーリングで、室内を見ると運転席と後席の間にパーティション(仕切り)があることが分かります。出来ばえはイクソのこのMUSシリーズの標準的なもので、木材を模した茶色のパーティション、メーターパネルなど室内もそこそこ良く再現されています。なおドアミラーの手前にある縦長の黒い箱は腕木式の方向指示器を再現しています。(腕木式方向指示器を知らない方はWEBで検索してみてください) 実車はメルセデス ベンツ博物館に所蔵されていて、その画像は参照画像リンクで見ることができます。所蔵されているモデルは1938年式でボディカラーや補助灯などが少し異なっています。これ以外の260Dのミニカーはイクソの別ブランドのホワイトボックス(廉価版)とヴェーキングの1/87があります。 以下はフロント(腕木式方向指示器拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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メルセデス ベンツ 170V (W136) ドイツ 1936年
サラブレッド期のメルセデス ベンツは前述したような高級車ばかり作っていた訳ではありませんでした。1931年に発表されたメルセデス ベンツ 170(W15)はメルセデス ベンツとしては大衆向けの小型車で、6気筒1.7L(32HP)の小さなエンジンを搭載し4段変速で最高速90km/hの性能でした。小型車にも6気筒エンジンと全輪独立懸架サスペンションを採用したあたりがメルセデス ベンツらしいところでした。1936年にエンジンが4気筒1.7L(38HP)に変わり丸みを帯びた近代的なデザインの170V(W136)に変わりました。170VのVはドイツ語 VIER(4の意)だと思っていましたが、正しくはVORN(フロントの意)でフロントエンジンを意味し、同時期のリアエンジンの170H(HはHECK リアの意)と区別する為に付けたそうです。(実車画像→ メルセデス ベンツ 170 1931)
当時のメルセデス ベンツのラインアップとしては、170の上に1936年発表の中級車230(6気筒エンジン搭載)、その上に1937年発表の320(6気筒エンジン搭載)がありました。また170より小さい130Hというベンツとしては風変わりな車(リアエンジンで後のフォルクスワーゲン ビートルに似ている)もありました。170Vにはカブリオレ、2座のロードスター、商用車(バン 、トラック)などもあったようです。170Vは息の長いモデルで戦時中には軍用車として使われ、戦後もディーゼルエンジン搭載の170Dや上級仕様の170Sが追加され、1955年まで生産されました。総生産台数は約15万台でした。
ミニカーは2005年頃に発売されたサンスター傘下のビテス製です。170Vの4ドアセダンをモデル化しています。このセダンは前後ドアのヒンジがセンターにある逆観音開きの4ドアです。プロポーションが良くフロントグリルやエッチング材のワイパーなど細部もリアルで良く出来ています。ビテスはサンスター傘下となる前に170Vをモデル化していましたので、これはそれの細部をリファインしたものです。サンスター傘下となる前のビテスの170Vにはカブリオレや商用バンなど十数種類ほどのバリエーションがありました。ビテス以外の170Vのミニカーはシュコーの1/18と1/43と1/90、ブッシュの1/87、イクソなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アウトウニオン タイプ C ドイツ 1936年
1936年にアウトウニオン タイプ Bは排気量を6Lに拡大し過給圧を上げてエンジンを520HPまで大幅にパワーアップし、さらにホイールベースを伸ばしトレッドを広げて操縦性を向上させたタイプ Cに発展しました。外観的にはコクピット左右のえぐりが均等になり(レースによって多少異なるが)、フロントノーズの形状が少し変わりました。さらに1937年には排気量が6.3Lに拡大され、545HPにパワーアップされました。
1936年は圧倒的に強かったメルセデス ベンツ W25の戦力が落ちたので、アウトウニオンが勝つレースが増えました。メインのGPレースでは、ドイツ、スイス、イタリアで優勝し(ドライバー B.ローゼマイヤー)、それ以外でもトリポリやフェルトベルク(ドイツ ヒルクライム)などで優勝しました。 1937年シーズンには、強力なメルセデス ベンツ W125が登場したので、タイプ Cはベルギー GPでの優勝(ドライバー R.ハッセ)以外ではW125の後塵を拝していました。タイプ Cは1938年にタイプ Dに変わりました。
ミニカーはブルム製でブルム初期の1981年に発売されました。1936年のドイツ GPまたはスイス GPの優勝車(ドライバー B.ローゼマイヤー)をモデル化しています。ノーズが短いアウトウニオン GPカーの独特なスタイルがうまく再現されていて、ボディ細部やコクピット内の仕上げもそこそこリアルで、1980年代当時のミニカーとしては良く出来ていました。なおリアエンドの小さな丸い突起はエンジンを始動するスターターを接続する部分です。ブルムはバリエーションでリアにダブルタイヤを履いたタイプもモデル化しています。これ以外のタイプ Cのミニカーはメルクリンの戦前の当時物(超レア物)、シュコーのブリキ製 1/24?、ミニチャンプスのアウディ特注品/ドイツ GP仕様、CMCの1/18 超精密モデル、ブッシュの1/87などがあります。以下はフロント/リアの拡大画像です。なおこの上に載せたタイプ Cの画像は2006年に撮影したもので、以下の拡大画像は2021年に撮影したものです。以下の画像ではゼッケン #4のデカールが変形して別物のように見えますが、これは経年変化でデカールが膨潤したものです。今回この記事を更新したことで、デカールがこんな具合に経年劣化するものだということが良くわかりました。原因はデカールの質が良くないということですが、箱から出してガラスケース内で保管していたことも劣化を促進した要因でしょう。(どんなものにも寿命がありますので仕方ないことですが) (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ブガッティ T57SC アトランティック フランス 1936年
ブガッティ T57は1934年に発表された3Lクラスのツーリングカーで1940年までに約700台が生産され、ブガッティとして最もたくさん生産されたモデルでした。主に4ドアセダンや2ドアクーペのボディが架装されました。エンジンはレーシングカーT59で使われたDOHC 直列8気筒3.3L(135HP)を搭載していました。ブガッティ T57Sはホイールベースを短縮したスポーツ仕様で、エンジンは170HPにパワーアップされ最高速185km/hと当時のスーパーカーでした。T57Sにスーパーチャージャーを追加して195HPにパワーアップした高性能版がT57SCでした。そのT57SCに一風変わったデザインの流線形クーペボディを載せたのがアトランティックでわずか4台しか生産されていません。(ボディの軽量化で最高速200km/hだったそうです)
アトランティックのボディの中央にある背びれのような部分は、左右のボディパネルをリベット止めしている接合部で、この部分のデザインが独特の迫力を生み出しています。現在の車も側面と屋根の接合部が左右に2カ所あり見えないように隠していますが、この車は接合部を外部に出して独特の迫力あるデザインとして成立させています。フロントスクリーンも2分割されていますので、ワイパーも変わった配置になっています。アトランティックのクーペボディはリアにスペアタイヤを格納するスペース(丸いカバー部分)があるので、リアの窓は位置が高く小さいです。たぶん後方はほとんど見えなかったと思います。
ミニカーは2009年に発売されたイクソ製のミュージアムシリーズです。個性的なクーペボディがうまく再現されていてかなり良く出来ています。ワイヤースポークホイール、エッチングパーツを使ったボンネットのルーバーやワイパー、室内などの細部も良く仕上げてあります。最近までアトランティックのミニカーはウエスタンモデル(ホワイトメタル製)、リオ、Bブラーゴの1/24、ブルムぐらいしかありませんでした。最近になってこのイクソ(ホワイトボックスも同じ)やオートアートの1/18、CMCの1/18、レジン製ではミニチャンプス、ルックスマート、マトリックスなどでモデル化されました。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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