Sorry Japanese Only
アベルドニア パーク ロイヤル ランドー イギリス 1912年
この車は馬車にガソリンエンジンを搭載した構造の自動車で、イギリス ロンドンのパーク ロイヤル地区にあったアベルドニア社が製造しました。この当時は内燃エンジンを搭載した馬車と異なる外観を持つ自動車が実用化されつつありましたが、伝統的な馬車の外観を懐かしく思う人もいました。そのような人向けにアベルドニア社は古典的な馬車の外観を持つ自動車を提供することにしました。製造は受注が減少していた馬車コーチビルダーのブラウン(BROWN)、ヒューズ(HUGHES)、ストラカン(STRACHAN)が担当しました。
1911年に発表したパーク ロイヤル ランドーは、ランドー形式の馬車(開閉できる屋根付き密閉式ボディで向かい合わせの4人乗り)にエンジンを後付けした構造でした。4気筒3.2L(20HP)エンジンを馬車前方のドライバー席の後方に搭載した後輪駆動車で、3段変速で最高速60km/hの性能でした。このボディ以外にも7人乗りツーリングカー仕様(たぶん幌の付いたオープンカー形式)もあったようです。ただ同社の事業は第1次大戦の勃発で中断され1915年に終わりました。製造された車は少数だったと思われます。
ミニカーは1960-1970年代に製作されたフランスのクラシックカー専門メーカーのMINIALUXE製で、ボディ全体がプラスチック製です。(実際の発音とは違うようですが、MINIALUXEはミニオールと呼んでいます) MINIALUXEのミニカーはクラシックカーに付き物の灯火類や操作レバーがきちんと別パーツで取付けられているなど、当時のミニカーとしてはリアルに作ってありました。このパーク ロイヤル ランドーも当時の実車のパンフレット(参照画像→ パーク ロイヤル ランドー)と見比べると、結構リアルに作ってあります。キャビンのドア開閉ギミック付きで、開くとソファーのようなシートを備えた室内が見えます。発売されてから約50年間の経年劣化でタイヤの一部が切れていますが、MINIALUXEのミニカーには良く見られる経年劣化です。この車は見た目の面白さでモデル化されたのだと思いますが、これ以外のミニカーは無いようです。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=2067
GM ビュイック モデル 35 アメリカ 1912年
ビュイック モーター社はイギリス系アメリカ人 デイヴィット ダンバー ビュイック (David Dunbar Buick)が1903年に設立しました。1904年に2気筒エンジン搭載のモデル Bを販売しましたが業績は芳しくなく、馬車製造会社を経営するウイリアム C デュラントに援助を求めました。デュラントの采配でビュイック社は業績が回復しましたが、創業者のビュイックは会社を去りました。フォード社と売上げを競うほどに成長したビュイック社を土台にして、デュラントは1908年にGM(ジェネラル モータース)社を設立しました。GM社はキャディラック、オールズモービル、オークランド(ポンティアック)などを買収して、アメリカ 3大メーカーの一つとなっていきました。
1912年に登場したビュイック モデル 35は、4気筒2.7L(23HP)エンジンを搭載する中型車でした。当時のエンジンは吸排気バルブをピストン側面に配置したサイドバルブ方式が一般的でしたが、ビュイックは現在では当たり前のバルブをピストンの上に配置したOHV方式を採用していたことが特徴で、このモデル 35もOHV方式でした。シートは本革張り、タイヤはまだカーボンを使っていない天然ゴムの白タイヤ、ホイールは木製、ヘッドライトは電気式ではなくアセチレンガスを使うランプでした。この車は当時のビュイックのベストセラーカーで、約6000台が売れたそうです。
ミニカーは1987年頃に発売されたアメリカのアーテル(ERTL)製です。自動車黎明期のアメリカ車を数点ほどモデル化したアーテルの「VINTAGE VEHICLES」シリーズの1台です。実車参照画像と見比べると、スケールモデル的な造形で結構良く出来ていることが分かります。自動車初期の白タイヤやBUICKロゴの付いたフロントグリルなどもそれらしい出来ばえです。ただその白タイヤは梱包箱の中で固定された状態で保管していたので、固定されていたタイヤ接地面が扁平に変形しています。この時代のアメリカの実用車のミニカーはあまりありませんので、その点で貴重なモデルです。(サイドビューを見るとよくわかります) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=131
パッカード ビクトリア モデル 48 シリーズ アメリカ 1912年
アメリカを代表する戦前の高級車といえばパッカードがありました。1897年に設立されたウィントン(WINTON)社はアメリカで自動車の製造/販売を初めて行いました。この会社の初期の車をオハイオ州の電気商ジェームズ ウォード パッカードが購入しました。パッカードは車の故障にきちんと対応してくれないウィントン社に対抗して、ウィントン社の技術者を引き抜いて自分用の車を1899年に完成させました。これがパッカード社の創業に関する逸話ですが、ランボルギーニ社の創業などこれと似たような話はいくつかあります。ちなみにウィントン社は1900年代にアメリカ国内のレースで活躍しましたが、販売不振で1924年に自動車生産から撤退しました。その後はGM傘下の船舶用ディーゼルエンジンメーカーとして存続しているようです。
パッカードの最初の車は単気筒エンジン搭載の小型車でしたが、エンジンの点火時期自動進角装置やアメリカ初の円形ステアリングホイールなど先進的な技術が採用されていました。1903年には4気筒エンジンを搭載したモデル Kが登場しました。当時のパッカードはすべての部品を自社生産し、極めて高い品質を確保していました。1912年に6気筒エンジンを搭載した高級車 ドミナント シックス 48(DOMINANT SIX 48 後に48シリーズとも呼ばれた)が登場しました。1915年には量産車初のV型12気筒エンジンを搭載したツイン シックスが登場し、このモデルはライバル車を圧倒しパッカードの名声を決定的なものとしました。
ミニカーは大スケール(1/24)のクラシックカーを得意としていたフランクリン ミント製で、1990年頃に発売されました。6気筒エンジンを搭載した48シリーズのビクトリアという名前の車をモデル化しています。フランクリン ミントのクラシックカーは当時としては最も高品質なミニカーで、ドアやボンネットが可動し、エンジンやサスペンションなどのメカ部分もリアルに再現されていました。 このパッカードも本物の木材を使ったダッシュボードをはじめとして、ラジエーターグリル/ヘッドライト、各種の金具類がリアルに再現されていて素晴らしい出来ばえです。ドア開閉、ボンエット開閉、ステアリングホイールと連動した前輪操舵ギミックも付いています。なおパッカードの初期モデルは、マッチボックス、ミニオール、ラミーもモデル化していました。以下はフロント/前輪操舵ギミックの画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=133
シンプレックス 50HP アメリカ 1912年
ニューヨークで輸入車代理店を営んでいた義理の兄弟スミスとマブレーは1904年にスミス-マブレー製作会社(Smith and Mabley Manufacturing Co.)を設立し、輸入したメルセデスの部品を使ってS-M シンプレックスという名前の4気筒エンジン搭載車を発売しました。(多分メルセデス ジンプレックスをお手本にしたのでしょう) 1906年にこの会社は倒産して1907年に資産がシンプレックス オートモービル カンパニーに移管され、それを輸入業者のハーマン ブレーセル(Herman Broesel)が買い取りました。彼はS-M シンプレックスをベースにして欧州の高級車に対抗できるモデル 50HPを開発させました。
モデル 50HPはシンプレックスとして一番有名なモデルで4気筒10Lエンジンを搭載した大型車でした。大型の高級車でしたが高性能でもあり、レース仕様車がアメリカの国内レースで活躍したそうです。シンプレックス社は1915年にクレーン モーターカー(Crane Motor Car)を買収し、クレーン シンプレックス社と改名しました。1915年に6気筒9.2Lエンジンを搭載した新型車が登場しましたが、同社の自動車は当時最も高価な大型高級車でしたので、販売は芳しくなかったようです。1916年に航空機会社に買収され航空機エンジン製造に業種転換し1917年にシンプレックス車は消えました。
ミニカーは1968年に発売されたマッチボックス製です。マッチボックスのクラシックカーは型番Y**からYシリーズと呼ばれています。Yシリーズはマニア向けの専門ブランドが作っていた高価なクラシックカーのミニカーを、造形を簡略化することで手ごろな値段にしたものでした。このシンプレックスも当時の定価は950円と安価でしたが、縮尺が1/48と中途半端で、コストダウンでヘッドライトとフロントグリルを一体成型しているなど本格的なクラシックカーとしてはやや物足りない出来ばえでした。ただ実車の雰囲気がまずまず良く再現されていて値段相応に細部が再現されていたので、当時のミニカーとして良く出来ていたといえます。Yシリーズには車種的に貴重なミニカーがたくさんありました。このシンプレックスも2023年現在でも量産ミニカーはこれしかないので、車種的に貴重なミニカーです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=135
クリスティ 前輪駆動 消防ポンプ車 アメリカ 1912年
アメリカ人の技術者で発明家でもあったJ.W.クリスティ(John Walter Christie)は、自動車創世記の各種発明で馬車から自動車への転換に寄与した人物でした。彼は前輪駆動方式の自動車の設計を行いその車でレースに参戦するなど自車の宣伝活動を行っていましたが、彼の前輪駆動方式は時期尚早で成功しませんでした。その後第1次大戦が勃発し彼は陸軍関係の車両開発を行うようになり、彼の考案したクリスティー式サスペンションは第2次大戦中の戦車に採用されました。
1912年にクリスティは彼の考案した前輪駆動方式を使った消防車を製作しました。この消防車は馬で牽引していた消防トレーラー(蒸気機関で駆動する放水用ポンプを積載していた)に、馬の代わりに4気筒4.5L(60HP)のガソリンエンジンを搭載したトラクターを接続する構造となっていました。車両後部の銀色の煙突がついた筒が蒸気ボイラーで、その前方にあるのがアーレンス フォックス製の放水用ポンプです。この消防車はニューヨーク市消防署に採用されその後国内の消防署に展開され、1918年まで製造されたそうです。
ミニカーはデルプラド(DEL PRADO)社のミニカー付雑誌「世界の消防車コレクション」の1台で2003年に発売されました。1912年に製作されたクリスティ消防車をモデル化しています。独特なトラクター駆動輪と灯火類、ボイラー、ホース等の消防用備品などが細部まで忠実に再現されていて、かなりレベルの高い出来ばえです。メーカーは明記されていませんが、これとほとんど同じ物をアメリカのロードチャンプス(ROAD CHAMPS)がモデル化しているのでそれを流用していると思われます。同じデルプラド製の「世界の名車シリーズ」は安価故にあまりぱっとしないミニカーが多かったのですが、この「世界の消防車コレクション」のクラシックな消防車は面白い車種があり、いずれも値段(約2000円)以上の良い出来ばえでした。これ以外のクリスティ消防車のミニカーは上述したロードチャンプス、フランクリン ミントの1/24などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=139
当サイト掲載記事の無断転載を禁じます。
Copyright(C) 2004-2024 MINIATURECAR MUSEUM All rights reserved.