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トヨタ 7 カンナム仕様 日本 1969年
1960年代のトヨタは量産車ベースの車で行うレースを重視していたので、本格的なプロトタイプ スポーツカーの開発には消極的でした。日本GPには2000GTのレース仕様で参戦していましたが、日産 R380などのプロトタイプ スポーツカーには勝ち目がありませんでした。そこで1967年にプロトタイプ スポーツカーの開発を行うことになり、2000GTの開発と同じようにヤマハ発動機に開発を依頼しました。ヤマハはフォード GT40を購入して開発を進め、1968年にトヨタ 7 初代(415S)が完成しました。(実車画像→ トヨタ 7 初代)
トヨタ 7 初代はアルミ製モノコックのシャーシに、新開発したアルミ合金製V型8気筒3L(328HP)エンジンを搭載するグループ7(カンナム仕様)のオープンカーでした。エンジンを3Lとしたのは、グループ6としてヨーロッパの耐久レース参戦も予定していたからだそうです。その為5Lクラスの大排気量エンジンが一般的なカンナムマシンとしてはパワー不足で、国内の耐久レースでは健闘したものの、1968年の日本GPでは優勝した日産 R381などについていけず、大敗しています。
1968年日本GPの結果を踏まえて、1969年には新開発したV型8気筒5L(530HP)エンジンを搭載したトヨタ 7 2代目が登場しました。シャーシは一般的な鋼管スペースフレームに変更され、ボディは直線的なデザインに変更されました。なおこのマシンのテスト走行中に福沢幸雄が事故死しています。1969年の日本GPでは日産 R382が1-2フィニッシュで優勝し、トヨタ 7は3-4-5位でした。同年のワールドチャレンジカップ 富士200マイル(通称 日本カンナム 第2回)ではトヨタ 7 カンナム仕様が優勝しています。
1970年に5Lエンジンをターボ過給して800HPにパワーアップしたトヨタ 7 3代目が登場しました。鋼管をアルミ合金に変えてシャーシを軽量化、サスペンションも軽合金で軽量化されています。外観的にはコクピット左右にあった吸気孔がボディ側面のNACAダクトに変わったのが目立ちます。トヨタはアメリカでのカンナム参戦も予定していましたが、日産が参戦しないことで日本GPが中止され、トヨタ 7のテスト走行で河合稔が事故死したこともあって、トヨタ 7の開発は中止され3代目のレース参戦はありませんでした。(実車画像→ トヨタ 7 3代目)
ミニカーは2006年に発売されたエブロ製です。トヨタ 7 2代目のカンナム仕様で1969年の日本カンナム出場車をモデル化しています。ホイールやエンジン周りがリアルに再現されていて、かなり良い出来ばえです。エブロは初代の日本GP/カンナム仕様、2代目の日本GP/カンナム仕様もモデル化しています。なお2代目の日本GP仕様の5種類は型番が異なるものが出ていますが、単なる同じ物の型番変更のようです。エブロ以外ではQモデル(レジン製)の初代と3代目、トミカの3代目やデルプラドの3代目があります。 以下はフロント/リアの拡大画像とエンジン周りの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マツダ ルーチェ ロータリー クーペ 日本 1969年
3台目のロータリーエンジン搭載車としてルーチェ ロータリークーペが1969年に登場しました。この車は1967年の東京モーターショーで展示されたプロトタイプ マツダ RX87をベースにした市販車でした。(実車画像→ マツダ RX87) ルーチェ 初代のイメージを踏襲していますが、中身は全くの別物でした。この車のために新設計された13A型ロータリーエンジン(655ccX2 126HP)を搭載し、サスペンションは4輪独立で、マツダとして初めて前輪駆動方式を採用した特別設計の高性能スペシャルティーカーでした。4段変速で最高速190km/hの性能でした。
エアコン、パワステ、レザートップといった豪華装備を備えたスーパーデラックスは175万円とコスモ スポーツ (ロータリー)を凌ぐ高価格でした。(同時期のトヨタ クラウン ハードトップは約120万円でした) 高価格であった上にマツダ初の前輪駆動/パワステなどに熟成不足による問題があったので販売は芳しくなく、1972年には生産中止となりました。3年間で約1000台ほどしか生産されていませんので、実車は数回ほどしか見たことがありません。当時のマツダのイメージリーダーカーとして実に上品でかっこいい車でした。
ミニカーは2007年に発売された国産名車コレクション製でメーカーはノレブです。少し車高が高いところが今一つですが、実車の雰囲気がうまく再現されてます。フロントグリル、フェンダーミラー、ホイールなどの細部もリアルに仕上げられていて非常に良い出来ばえです。ノレブは自社ブランドでもほぼ同じ物を発売しています。当時物ミニカーはダイヤペットが異なる協力工場が製作した2種類を発売していました。当時物以外ではでは2005年頃にコナミの絶版名車コレクション(1/64)でモデル化され、トミカではまずメーカー特注非売品として作られ、その後2006年にトミカ リミッテドでも発売されました。2020年にはENIF(レジン製)でもモデル化されました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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三菱 コルト ギャラン AII GS 日本 1969年
三菱の意欲的な新型車コルト ギャランが1969年に登場しました。シンプルな平面構成の斬新なボディは、それまでの三菱車の地味なイメージを一新しました。これはイタルデザインのG.ジウジアーロのデザイン案がベースになっていたそうで、当時はそのことは知りませんでしたが、三菱車のデザインが急にセンスが良くなった理由が今になって納得できました。
エンジンは4気筒1.3L(87HP)/1.5L(105HP)G型の2本立てで、4段変速で最高速175km/h(1.5L)の性能でした。4ドアセダン、バンに加えて1970年に2ドアハードトップが追加されました。1971年のマイナーチェンジで角形ヘッドライトが丸型4灯式になり、エンジンが1.4L/1.6Lに拡大されました。斬新なデザインが人気を呼んでギャランは大ヒットし、三菱車の小型車市場での基礎を固めました。
1973年にギャラン 2代目にモデルチェンジし、名前がコルト ギャランからギャランとなりました。(実車画像→ 三菱 ギャラン 1973) ボディが大きくなり、初代のイメージを引き継ぎながら全体的に角を丸めたデザインでした。エンジンは新規の1.8L/2Lが追加されました。しかしこのイメージ継承策が裏目にでて、見た目があまり変わっていない2代目の販売は芳しくありませんでした。1976年に3代目 ギャラン シグマにモデルチェンジしました。
ミニカーは1970年に発売されたダイヤペット製の当時物です。1.5Lエンジン搭載のAII GSをモデル化しています。プロポーションが良く出来ているだけではなく、フロントグリルの造形も当時としては凝っていて当時のダイヤペットの秀作のひとつでした。ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きです。ギャランは人気があったので、ダイヤペットはハードトップもモデル化していました。当時物ではトミカもハードトップをモデル化していました。当時物以外ではトミカ リミッテドで4ドアセダン、国産名車コレクション 1/24で4ドアセダンがモデル化されています。なお2023年現在でギャラン 2代目の量産ミニカーは無いようです。(実車の人気を反映しています) 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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三菱 ふそう (B906R) 国鉄ハイウェイバス 日本 1969年
戦前の1932?に当時の三?重工神戸造船所でガソリンエンジンの大型バスB46型が製造されました。このバスに「ふそう」(中国での日本の別名「扶桑」に由来)というブランド名がつけられ、これが三菱 ふそう グループの始まりで、国産車としては一番古いブランド名となります。1946?に戦後初のふそう 大型バス B1型が登場しました。
その後のふそう バスの歴史を簡単にメモしておきます。(三? ふそうバスのWEBサイトから抜粋させていただきました)
1950年 R1型 日本最大の縦置きリヤエンジンバス 登場
1960? B10型 ローザ 小型バス 登場
1962年 AR820型 高速バス 登場
1968年 B906R型 高速バス 登場 1969年東名高速道全線開通でB906R型国鉄専用バスによる東京-名古屋間の東名ハイウェイ運行開始
1974年 中型バス MKシリーズ 登場
1983年 大型観光バス エアロバス 登場
1984年 大型路線バス エアロスター 登場
1985年 2階建て観光バス エアロキング 登場
1988年 豪華な観光バス エアロクイーン 登場
ミニカーは1972年に発売されダイヤペット製の当時物です。1969年に登場した国鉄専用高速バス B906R型をモデル化しています。箱には1/40と明記されていますが、実車の寸法から逆算すると1/50で作られているようです。(それでも230㎜と大きいですが) フロントの雰囲気や窓のレイアウトなど当時のミニカーとしてはリアルに作ってあり、良い出来ばえです。 室内のシートは起毛(静電植毛)仕上げされています。ギミックとしては折り戸ドア/リアパネルが開閉し、ボディを傾けることで前輪の操舵ができます。側面のJRロゴや白いラインなどは紙のシールなので、長期保存すると剥がれてしまうことが多いです。当方の物もフロントのパネル上に貼られていた「東京駅」やドア横に貼られていた「ワンマン」などのシールが剥がれて行方不明です。なお本来はリアだけにナンバープレートが付いていたようですが剥がれてしまったようで、当方の物に付いているナンバープレートは自作したものです。 以下はフロント拡大画像/ドア開閉動作とリア拡大画像/リアエンジンカバー開閉動作の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ホンダ 1300 クーペ 9 日本 1969年
1969年にホンダ初の小型車ホンダ 1300が登場しました。デザインはオーソドックスな3ボックススタイルの4ドアセダンでした。横置エンジンによる前輪駆動、強制空冷エンジン、4輪独立懸架など独創的な技術が採用されていました。特にDDACと呼ばれた強制空冷方式はエンジンブロックやシリンダーヘッドに冷却用ダクトを設けて通風するといった特殊なもので、冷却性能は水冷並みながら構造が複雑で重いという問題がありました。エンジンはオールアルミ製の空冷4気筒1.3L(100-115HP)で、4段変速/3段ATで最高速170km/h(115HP)は当時圧倒的に高性能でした。高性能版(115HP)の99は丸形ヘッドライト、標準(110HP)の77は角形ヘッドライトと外観を変えていました。(実車画像→ ホンダ 1300 77)
1970年に個性的なフロントグリルを持つ2ドアクーペが追加されました。(高性能版はクーペ 9、標準はクーペ 7) クーペの内装はインパネがドライバーを囲む専用設計となっていました。1970年のセダンのマイナーチェンジでヘッドライトが丸形に統一され、名前から1300が外れました。1300シリーズは高性能でしたが、当初からエンジン性能とサスペンション設定の不適合によるFF車特有の操縦性の問題がありました。エンジンのデチューンやサスペンション設定変更が行われましたがあまり改善されませんでした。1972年に総生産台数約10万台で生産中止となり、後継車はエンジンを水冷化し1.4Lに変更した145/145クーペでした。1300シリーズが商業的に失敗したことでホンダの4輪車エンジンは空冷から水冷へ転換しました。(実車画像→ ホンダ 145)
ミニカーは1971年に発売されたダイヤペット製の当時物です。一番高性能であったクーペ 9をモデル化しています。プロポーションが良く、特徴的なフロントグリルやホイールなどが当時のミニカーとしてはリアルで、全体的によく出来ていました。ボンネットとドアの開閉ギミック付です。これ以外の当時物ではトミカのクーペ 9があり、特注品でパトカーやレース仕様がありました。当時物以外ではトミカ リミッテドの1300 セダン(99S/77S)、エブロのクーペ 9、国産名車コレクションのクーペなどがあります。国産名車コレクションのクーペにはNo.39とNo.94の2種類があり、No.39はノレブ製、No.94はイクソ製です。国産名車コレクションは少しだけ仕様を変えて同じ車をモデル化している物がいくつかありますが、この1300 クーペも何らかの大人の事情があって同じ車をモデル化したのでしょう。(出来ばえに違いがあって面白いですが) 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームとリアの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)