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フォード コンサル コルチナ (コーティナ) MK I スーパー エステート イギリス 1963年
大ヒットしたBMCのミニに対抗してフォードが送り出したのが、1962年に登場したコルチナでした。革新的だったミニとは異なり、コルチナは非常にオーソドックスな構成の小型車でした。アングリア用を拡大した4気筒1.2L(48HP)エンジンを搭載する後輪駆動車で、4段変速で最高速124km/hの性能でした。当初は2ドアだけでしたが、4ドアやエステート(ワゴン)が追加され、エンジンも1.5L(58HP)やそれを76HPにチューンした高性能版のGTが追加されました。
コルチナの売りは大柄なボディ、割高なミニに比べて低価格なこと、エンジンやボディの多彩なバリエーションでした。ミニにもワゴン仕様がありましたが、ミニのワゴンの全長は約3.3mで、4ドアで全長約4.28mのコルチナ エステートとは室内の広さで勝負になりませんでした。エステートの豪華仕様であるスーパー エステートにはオプションでサイドとリアゲートに木目調パネル(本物の木材ではない)が付きました。ボディに本物の木材を使用したウッディ ワゴンは、アメリカでは高級車として人気がありました。当時のイギリスでもこの手の飾りが同じように人気があったようです。
ミニカーはコーギーの当時物です。オプション設定された木目調パネルの付いたスーパー エステートをモデル化しています。リアゲートが開閉し、コーギーお得意のフィギュア2体(ゴルファーととキャディの子供)とゴルフカートが付き、ちょっとしたジオラマ仕立ての楽しい物になっています。この木目パネルは別パーツで、ボディはパネルを挟むように2分割で成型されています。その為パネルは塗装で表現するよりもリアルな仕上がりとなっています。(ただその為に前フェンダー先端に少し隙間ができていますが)コーギーがここまで凝った作りをしたということは、実車の人気が高かったからでしょう。セダンはディンキーなどがモデル化していましたので、コーギーがエステートをモデル化したのは競合を避ける理由もあったのでしょう。後にフィギュア無しの物も発売されています。
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アストン マーチン DB5 イギリス 1963年
1963年にアストン マーチン DB4はDB5にモデルチェンジしました。DB4とDB5の外観上の違いはほとんどありません。画像ではヘッドライトにカバーが付いていて前述したDB4と大きく違っていますが、ヘッドライト カバーはDB4のシリーズ4から既に採用されていました。DB4のDOHC 直列6気筒3.7Lエンジンは4L(282HP)まで拡大され、5段変速機が採用され最高速は233km/hの性能でした。1964年にはエンジンを330HPまでパワーアップした高性能版ヴァンテージが追加されました。
DB5を世間に知らしめたのはなんといっても映画「007 ゴールドフィンガー」(1964年)でジェームス ボンドが操るボンドカーに採用されたことでした。フロントから飛び出すマシンガンや射出される助手席などの特殊な装備が搭載されたDB5 ボンドカーは映画のヒットとともに有名になりました。007映画ではアストン マーチン DB5はボンドのプライベートカーという設定で、それ以外にも「007 リビング デイライツ」(1987年)のV8、「007 ダイ アナザー デイ」(2002年)のV12 ヴァンキッシュ、「007 スペクター」(2015年)のDB10など特殊装備付のアストン マーチンが登場します。それらのボンドカーはほとんどがミニカーになっていて、アストン マーチンだけではなく全てのボンドカーをあつめた雑誌付きミニカーのシリーズ(The James Bond Car Collection)まであります。
ミニカーは2000年に発売されたビテス製です。これは自動車100年を記念したビテスのミレニアム シリーズの一つで、型番V98029のDB5とフィギュア2体をセットにしたものでした。フィギュアは007のボンド(ピアース ブロスナンをモデル化している?)とホテルのポーターで、007シリーズにあやかったものです。ミニカーは良いプロポーションでホイールなどの細部の仕上げも良くかなりレベルが高い出来ばえです。ただボンドカーとしての特殊装備は何も付いていません。以下はフロント/リアの拡大画像とフィギュアを並べた画像/室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ロータス 25 F1 イギリス 1963年
ロータスはイレブンでのルマン参戦に続き、F1/F2に参戦しました。最初のF1/F2マシンは1957年登場の12で、コベントリー クライマックスの4気筒2L/2.2Lエンジンをフロントに搭載していました。1958年に16が登場し、1960年にはミドシップ方式を採用したロータス 18が登場します。18は1960年のモナコGPでS.モスのドライブで初優勝します。S.モスはアメリカGPでも優勝し、ロータスはコンストラクター選手権の2位に躍進します。
1961年からF1の排気量が1.5Lに変わりました。1961年にロータス 21が登場しこのシーズンはロータスとフェラーリの2強の争いで、フェラーリ 156が勝利しました。1962年にロータス 24が登場しますが、すぐに革新的な軽量モノコックシャーシを採用したロータス 25に変わりました。このシーズンはロータスとBRMの2強の争いで、BRM P57が勝利しました。1963年には改良されたロータス 25でJ.クラークが7勝を挙げて初のチャンピオンドライバーとなり、ロータスは念願のコンストラクターチャンピオンを獲得しました。
1964年シーズン前半はJ.クラークがロータス 25で3勝し、シーズン後半に改良型のロータス 33が登場します。ロータスが後半に勝てなかったことで、フェラーリ 158のJ.サーティースがチャンピオンドライバーとなり、コンストラクターチャンピオンもフェラーリが獲得しました。1965年シーズンはロータス 33が主力となりJ.クラークがほとんどのレースで勝利し、ドライバーとコンストラクタータイトルを獲得しています。その後もロータスはコスワース DFVエンジン(V型8気筒3L)開発、グラウンド エフェクトカー(ロータス 78)の開発など、F1レース界に革新を起こし、名門チームとなりました。
ミニカーはブルム製で、2002年頃に発売されました。1963年のベルギーGPの優勝車(ドライバー J.クラーク)をモデル化しています。風防形状が適当なのは当時のブルム流で、タイヤ外径も少し小さいような気がしますが、それ以外は当時のミニカーとしてはまずまずの出来ばえです。ブルムは8種類ほどのバリエーションを作っています。これ以外ではポリトーイの当時物(プラスチック製)、最近のものではカルツォやスパークがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像とコクピットの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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オースチン ヒーレー 3000 MK III イギリス 1963年
前述したオースチン ヒーレー 100は1959年に6気筒2.9L(124HP)エンジンを搭載したヒーレー 3000にモデルチェンジしました。古典的なラダーフレームに2+2座(BT7)又は2座(BN7)のオープンボディという基本構造はそのままながら、シャーシを強化しフロントにはディスクブレーキが採用され、最高速は182km/hと高性能でした。室内や装備が豪華になったのでヒーレー 3000は「ビッグヒーレー」と呼ばれ、ほとんどがアメリカ市場に輸出されました。ワイヤースポークホイール、脱着可能なハードトップ、ヒーター、ツートンカラーなどのオプション設定がありました。
1961年にエンジンを132HPにパワーアップしたMK IIとなりました。1963年にはMK IIIに発展しエンジンは148HPまで強化され、最高速は193km/hまで向上しました。1963年からWRCにワークスで参戦し、ラリーでも活躍しました。ヒーレー 3000は1967年まで生産され、総生産台数は約4.2万台でした。1972年にBMC(オースチン)との契約が終了し、ヒーレー スプライト MK IIが最後のモデルとなり、オースチン ヒーレー ブランドは終わりました。
ミニカーは1985年に発売された初期のビテス製です。1963年式の3000 MK IIIで2+2座のハードトップ仕様をモデル化しています。実車の雰囲気がうまく再現されていて、フロントグリルや室内などの細部も当時のミニカーとしては良く出来ていました。ただボンネット上のエアインテークが目立たないのが今ひとつですが。これ以外のビッグヒーレーのミニカーは、これと同じ型を使っていると思われる最近のビテス(サンスター傘下)のもの、コーギー、京商の1/18、オートアートの1/18、バンガーズ、オックスフォード、スパーク(レジン製)のレース仕様などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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プリンス (日産) グロリア S40型 スーパー6 日本 1963年
1962年にボディを近代的に一新した2代目グロリアが登場しました。ボディを一周するモールを特徴とする、フラットデッキ スタイルは当時のGM シボレー コルベアーに良く似ています。(モールが多用されているのはやや時代遅れでしたが) シャーシ構造は先代をベースにしており、エンジンは4気筒1.9L(94HP)で改良されています。4段変速で最高速145km/hの性能でした。ステーションワゴンや商用バンの設定がありました。
翌年には6気筒2L(105HP)G7型SOHCエンジンを搭載したスーパー 6が追加されました。国産量産乗用車としては初のSOHCエンジンで、以後他社も高性能なSOHCエンジンを搭載するようになりました。1964年にスーパー 6をベースとした上級車グランド グロリア(S44P型)が発売されました。西陣織の内装など内外装を豪華にし、エンジンは G7型を元に排気量を拡大した2.5L(130HP)G11型で、最高速170km/hの性能でした。1967年にグロリア 3代目にモデルチェンジしました。
当時は日産 プレジデント、トヨタ クラウン エイト、トヨタ センチュリーなどが官公庁の公用車として使われていましたが、グロリアは宮内庁御用達で各皇族が愛用されていました。ホイ ールベースを少しだけ延長したグランド グロリアの特注仕様車が少数製作されており、平成の天皇(当時は皇太子)が愛用されていました。ただ標準仕様のグロリアは営業的にはクラウンやセドリックのようには売れなかったようです。
ミニカーは2004年に発売されたエブロ製です。特徴的なフロントグリルやモール、細いピラーのキャビンがよく再現されていて、かなり良い出来ばえです。室内もコラムシフトのレバーやインパネのメーター類などが良く再現されています。当時物としてはダイヤペットとモデルペットがありました。最近ではファインモデル(アンチモニー製)やトミカ リミッテド、国産名車コレクション、マーク43(レジン製)などでモデル化されています。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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