Sorry Japanese Only
BMW 1500 ドイツ 1961年
前述したBMW 700の成功で経営が安定したBMWは、より上級な1.5-2Lクラスの小型車の開発に着手しました。エンジン、シャーシ、サスペンション、ボディの全てを刷新した新型車1500が1961年に登場しました。エンジンをフロント搭載するオーソドックスな後輪駆動車で、4気筒1.5L(80HP)エンジンはボンネットを低くするために30度傾斜して搭載されました。フロントサスペンションはマクファーソンストラット、リアはコイルスプリングで吊ったセミトレで、フロントはディスクブレーキを採用していました。ボディもオーソドックスな4ドアセダンでしたが、デザインは700と同じミケロッティによるスポーティでセンスが良いものでした。このスタイルはその後のBMWに継続して使われました。
このクラスとしては高品質/高性能であった1500は、スポーティセダンとして好評を博しました。1500はBMW社内でNeue Klasse(ノイエ クラッセ:新しいクラス)と呼ばれていたシリーズの第1弾で、その後このシリーズには1963年に1.8Lエンジン搭載の1800、1964年に1.6Lエンジン搭載の1600、1966年に2Lエンジン搭載の2000が追加されました。1966年に1500が1968年に1600が生産中止となりましたが、1800/2000は1972年まで生産されました。2Lクラスの後継車は5シリーズ(E21)となりました。
ミニカーはディンキー(仏)の当時物で、1963年に発売されました。ビンテージ物のミニカーですから素朴な作りですが、ディンキー(仏)のミニカーは当時からスケールモデル的な作風でしたので、プロポーションが良く結構リアルに出来ていました。1500の当時物ミニカーはジク(SIKU)やガマがありました。当時物以外ではブレキナ(1/87)の1500/1800/2000、ミニチャンプスの1500/1800/2000、シュコーの1600/2000などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=498
フォルクスワーゲン 1500 (タイプ3) ドイツ 1961年
フォルクスワーゲン ビートルの後継車として1961年に登場した1500は、ビートルのシャーシのトレッドを拡大し幅広い近代的なノッチバックボディを載せたものでした。空冷エンジン(4気筒1500cc 45HP)をリアに搭載する基本構成は踏襲していました。このモデルはタイプ3と呼ばれました。(ビートルをタイプ1、1ボックストランスポーターをタイプ2と呼びます) 当初は2ドアセダンとカルマン ギア クーペ(タイプ34)だけでしたが、1962年にバリアント(ワゴン)が追加されました。
1965年にエンジンが1600cc(54HP)に強化され、名前が1600に変わりました。同時にファーストバック スタイルを採用した2ドアセダンの1600TLが追加されました。これはアメリカ市場を狙ったモデルで、地味なノッチバックセダンと比べるとなかなか魅了的なスタイルとなっていました。(ノッチバックセダンはアメリカに輸出されませんでした) 1968年には量産車として世界初の電子制御式ガソリン燃料噴射システム(ボッシュ製)を採用するなど改良が加えられました。しかし空冷リアエンジン方式は時代遅れとなり、結局1600はビートルの後継とはならず、水冷エンジンで前輪駆動方式のパサートが登場したことで1973年に生産中止となりました。総生産台数は約250万台でした。
ミニカーは1990年頃に発売されたビテスの初期物です。これといった特徴の無いスタイルがうまく再現されています。サンルーフ付で、室内などの細部もそこそこ良く再現されていて当時としては良い出来ばえでした。サンルーフ無しセダンやポリス仕様など数種類のバリエーションがありました。1500/1600の当時物ミニカーはディンキー、ガマ、ジク、ノレブ、テクノ、メルクリンのバリアント、ポリトーイの1500(プラスチック製)/1600TL/バリアントなどたくさんありました。当時物以外ではミニチャンプス、ブレキナの1/87、シュコー ピッコロなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=515
NSU (エヌ エス ウー) プリンツ IV ドイツ 1961年
NSU (エヌ エス ウー)社のNSUとは、所在地のNeckarsulm(ネッカーズルム)に因んだ名前で、20世紀初頭から小型車を生産していました。第二次大戦前にはオートバイ製造に軸足を移し、軍用の無限軌道オートバイとして有名なケッテンクラートはNSU社の製品でした。戦後の1958年に自動車製造を再開し、プリンツ Iを発表しました。プリンツ Iは空冷2気筒583cc (20HP)エンジンをリアに搭載した全長3m程の4座席の小型車でした。
プリンツ Iは1959年にシンクロメッシュギアボックスを採用してプリンツ IIとなり、1960年にはエンジンを30HPにパワーアップしてプリンツ IIIとなりました。1961年にやや大きなボディに空冷2気筒598cc (30HP)エンジンを搭載したプリンツ IVに発展しました。プリンツ IVは小型車ながらコイルスプリングの全輪独立懸架サスペンションで走行性に優れていて、かなり人気があったようです。上級車としてボディを大型化し4気筒1Lエンジんを搭載した1000が1964年に追加されました。
ミニカーは1964年に発売されたドイツのガマの当時物です。実車が小さいうえに縮尺が1/46なのでずいぶん小さなミニカーです。ビンテージ物のミニカーですので素朴な出来ですが、プロポーションは正確にできています。こんなミニカーでも屋根がスライドするギミックが付いているのが当時のミニカーらしいところです。 NSU プリンツの当時物ミニカーはジク(SIKU)、ソリド、スポットオンがありました。最近の物ではノレブ、ブッシュの1/87などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と屋根が開くギミックの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=531
フォード タウナス トランジット ドイツ 1961年
フォード トランジットはヨーロッパでは一番販売台数の多い商用車で、バン、ミニバス、ピックアップ、トラックなど多くのバリエーションがあります。1953年にドイツ フォードが発売した商用車FK1000からトランジットの歴史が始まります。(1000は積載量1000㎏の意で後に1250も追加された) FK1000は、1950年に登場したフォルクスワーゲン T1によく似たデザインですが、リアエンジンのT1に対してFk1000は運転席の下にタウナス 12M用の4気筒1.2Lエンジンを搭載する後輪駆動車でした。
1955年にエンジンがタウナス 17M用の1.5L(55HP)に変更され、搭載位置が運転席足元から運転席の中央に移動しました。フォルクスワーゲン T1の1.2Lエンジンは25HPだったので走行性能的にはFK1000が高性能でしたが、運転席にエンジンがあることでうるさいことなど快適性はT1より劣っていたようです。1961年にFK1000は名前がタウナス トランジットに変更されました。
タウナス トランジットは1965年にモデルチェンジし、名前がトランジットとなりました。トランジットはドイツとイギリスの両フォードに共通するモデルで、イギリス フォードではテームズ 400Eの後継車でした。トランジットはイギリスでは初代となりますが、ドイツではタウナス トランジットの後継でトランジットの2代目とされています。当サイトのデーターベースでは車名に世代を意味するMK *を付けていますが、トランジットは1965年のモデルをMK Iとしています。以下1978年モデルをMK II、1986年モデルをMK III、1991年モデルをMK IV、1994年モデルをMK Vとしています。(実車画像→ フォード テームズ 400E)
ミニカーは1960年代に発売されたテクノ製の当時物です。ロイヤルメール(イギリス郵便)のロゴが側面に付いた郵便車をモデル化しています。テクノは金属製パーツの多い独特の味のある造形が特徴で、このトランジットも実車のイメージが良く再現されています。塗装がしっかりしているので、約50年も前に作られたとは思えないほど綺麗な状態です。リアウィンドーを組込んだリアドアが開閉し、内部もきちんと作られています。テクノのトランジットには救急車や企業ロゴのついたバリエーションがたくさんあります。これ以外のタウナス トランジットのミニカーとしては、ジクの当時物やシュコーの最近の物があります。 以下はフロント/運転席の画像とリア/リアドア開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1847
ルノー 4L フランス 1961年
1961年にルノー 4CVの後継車としてルノー 4が登場しました。ルノー初の前輪駆動方式を採用し、2ボックスのハッチバックボディなど、ライバルのシトロエン 2CVを意識した設計でした。ボディはセダン以外にフルゴネット(後部がハイルーフの箱形商用車)、ブレーク(バン)、ピックアップなどがありました。エンジンは4CV譲りの747cc(32HP)で3段変速機、最高速113km/h の性能でした。なおエンジンが603ccの廉価版ルノー 3も短期間ですが販売されました。
リアサスペンションは横置きトーションバーを用いたトレーリングアーム方式で、ボディ全幅に渡る長い左右輪用トーションバーが2本前後に並んでいたので、ホイールベースが左右で少し異なっていました。当初はフロントグリルとヘッドライトが分離していましたが、1968年以降はアルミ製グリルで一体化され、1975年には黒い樹脂製グリルとなりました。1972年にエンジンが800ccに拡大され、1978年には1.1Lエンジンも追加されました。コストを抑えた設計による実用性/経済性が評価され、同じようなコンセプトのシトロエン 2CV以上に大成功し1992年まで生産されました。総生産台数は835万台でこれはモデルチェンジしていない量販車としてはフォルクスワーゲン ビートル(2153万台)、フォード T型(1500万台)に次ぐ第3位でした。(ちなみにシトロエン 2CVは387万台) 後継車はトゥインゴでした。
ミニカーは1962年に発売されたディンキー(仏)製の当時物です。豪華仕様の4L(リアクォーター後部に3枚目の窓がある)をモデル化しています。ディンキー(DINKY TOY)はイギリスとフランスに生産拠点があって、フランスのディンキー(仏)は主にフランス車を手掛けていました。ディンキー(仏)のミニカーはプロモーションモデル的なリアルな作風が特徴でした。このルノー 4も1960年代の素朴な作りですが、プロポーションはしっかりしていて細部も結構リアルで良い出来ばえでした。スプリングサスペンションのギミックが付いています。これ以外のルノー 4の当時物ミニカーはノレブ、ディンキー(仏)をコピーしたオートピレン、ソリドのフルゴネット、トミカのフルゴネットなどがありました。当時物以外ではビテス、ソリド、ノレブ、ブレキナの1/87など商用車のバリエーションも含めてたくさんあり、最近でも新製品が出されています。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)