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マツダ R360 クーペ 日本 1960年
瓶のコルク栓を作るメーカーとして戦前の1920年に設立された東洋コルク工業は、掘削機や工作機械を作るメーカーとなり、1927年に東洋工業と改名しました。1931年に3輪トラック「マツダ号」を発売し、その後は3輪車メーカーとして発展しました。このマツダという名前は古代ペルシャのゾロアスター教の神の名前にちなんだものでした。(実車画像→ 3輪トラック マツダ号 1931)
マツダは1960年にR360 クーペで乗用車市場に進出しました。戦後の車として初めてクーペという名前を付けたこともあって、スタイリッシュなボディ デザインが特徴でした。後のコスモ スポーツにも通じるノーズのデザインは東洋工業のデザイナーが担当したそうですが、この車にかけた情熱が感じられるデザインだと思います。後席が有るのですが、非常に狭いので子供用で大人の乗車定員は2名でした。アルミニウムやプラスチックなどを使ったボディは380kgと超軽量で、強制空冷V型2気筒360cc(16HP)OHVアルミ合金製エンジンをリアに搭載するRR車で、4段変速で最高速85km/hの性能でした。トルクコンバーターを用いた2段のオートマチックトランスミッションが軽自動車で初めて設定されました。
価格は2年前に発売されていたスバル 360(定価約36万円)よりも安い30万円で、当時の乗用車で一番安かったことから、発売当初は非常に高い人気がありました。ただ4人乗れるスバル360に対して、2人しか乗れないR360クーペは不利で、4座の軽乗用車キャロルが登場するとR360クーペの人気はなくなりました。1962年までに約6500台が生産されました。
ミニカーは2002年に発売されたエブロ製です。実車が小さいのでミニカーも小さいですが、実車の雰囲気がうまく再現されています。一眼メーターのインパネなど室内の細部もそこそこ良く再現されていてなかなか良い出来ばえです。R360の当時物のミニカーとしてはミクロペットやモデルペットがありましたが、まずお目にかかれないレア物です。(私も写真で知っているだけで、実物を見たことはありません) 最近の物では京商のポリストーン製、国産名車コレクションの1/43と1/24があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マツダ キャロル 日本 1962年
前述したR360 クーペでスバル 360の牙城を崩すことが出来なかったマツダは、新たに開発した軽自動車キャロルを1962年に登場させました。キャロルの特徴は軽自動車ながら、ボンネット、キャビン、トランクの分離した3ボックス スタイルと豪華な内外装でした。(リアエンジンですので荷物スペースはフロントですが) これを可能にしたのはクリフカットというリアウインドーを垂直に立てたキャビンで、これはイギリスのフォード アングリアで有名になったスタイルですが、国産車では珍しいものでした。
水冷4気筒360cc(18HP)OHVアルミ合金製という高度なエンジンをリアに搭載するRR駆動方式で、4段変速で最高速94km/hの性能でした。当初は2ドアだけでしたが、1963年には軽初の4ドアも追加されました。4ドアの3ボックススタイルが売りでしたが、このサイズでの4人乗車は寸法的に厳しく、また構造的に車重が重くなることから動力性能面でも不利でした。(当時はこのスペースになんとか4人乗ったようです)
当初はスバル 360を脅かしたようでしたが、動力性能の低さが販売上のネックとなりました。その後軽自動車市場にはダイハツのフェロー(1966年)やホンダのN360(1967年)といった高性能な新型車が登場し、キャロルは見劣りするようになりました。当時のマツダは小型車とロータリーエンジン開発に注力していた為、キャロルのモデルチェンジは行われず、1966年のマイナーチェンジを経て1970年に生産中止となりました。総生産台数は約26万台でした。初期の軽自動車として、非常にユニークな存在でした。
ミニカーはエブロ製で2003年に発売されました。前期型4ドアをモデル化しています。プロポーションが良く実車のフロント/リアの雰囲気がうまく再現されていてとても良い出来ばえです。室内も彩色されたシートやインパネなどがリアルに再現されています。キャロルはいまひとつ人気が無かったのか? 当時物のミニカーはありませんでした。当時物以外では京商のポリストーン製の後期型4ドア(1/43)、トミカ リミテッドの前期型4ドア、コナミの前期型2ドア(1/64)、国産名車コレクションの1/43と1/24などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マツダ ファミリア 日本 1964年
マツダ(東洋工業)が軽自動車のキャロルに続いて開発したのは小型車で、まずは商用車(テールゲート付ライトバン)がファミリアの名前で1963年に登場しました。キャロルのエンジンを拡大した水冷4気筒782cc(42HP)エンジンを搭載していました。翌1964年には乗用タイプのファミリア ワゴン、4ドアセダン、2ドアセダンが追加されました。さらに1965年には新設計の4気筒1L(68HP)SOHCエンジンを搭載したクーペが追加されました。クーペは4段フロアシフトで前輪ディスクブレーキを装備し最高速145km/hとかなりスポーティなモデルでした。(実車画像→ ファミリア クーペ 1965)
ファミリアのデザインはマツダ内製だったそうですが、イタリアのデザイナー ベルトーネが関わっていたようです。ボディ側面を一周するラインを強調して船の甲板を模したこのスタイルはフラットデッキ スタイルと呼ばれ、GM シボレー コルベアなどこの当時に流行ったものでした。この個性的で美しいスタイルが好評で、性能も良かったのでファミリア 初代は商業的に成功しました。1967年にファミリア 2代目にモデルチェンジしました。
ミニカーは1965年に発売されたモデルペット製で、唯一の当時物ミニカーです。プロポーションが正確で、実車の雰囲気が良く再現された良い出来ばえです。アンチモニー製でアンチモニーの下地メッキ処理で表現されたサイドライン(クロームモール)がフラットデッキ スタイルを表現するのにうまくマッチしています。50年以上も昔のミニカーがこんなきれいな状態のままなのは、やはり材質がメッキした金属だということが大きいと思います。(箱に入れた状態ではなく、ディスプレイ棚にずっと陳列していました。ただし直射日光は避けています) ボンネットとトランクが開閉するギミック付きです。これ以外のファミリア 初代のミニカーはトミカ リミテッドのワゴン/バン/バンのパトカー、国産名車コレクションの2ドアセダンがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マツダ ルーチェ 日本 1966年
マツダ(東洋工業)がファミリアの次に発売したのは高級車のルーチェでした。(ルーチェとはイタリア語で光の意です) トヨタ クラウンや日産 セドリックのような法人用途ではなく、オーナードライバー向けのパーソナルカーを目指した車でした。ルーチェの最大の特徴はその美しく上品なスタイルで、ベルトーネ時代のG.ジウジアーロのデザインでした。4気筒1.5L(78HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速150km/hの性能でした。
ただ大柄なボディに1.5Lエンジンはややアンダーパワーで、1967年にエンジンを86HPにパワーアップし、内外装をスポーティに仕上げたSSが追加され、さらに1.8L(100HP)エンジンも追加されました。(1.8Lの最高速は160km/h) 当時の日本ではこのようなパーソナル用途の高級車の需要は少なかったので、あまり売れなかったようです。ただし美しいボディデザインが評価されて欧州向け輸出は好調だったそうです。1969年にルーチェ ロータリー クーペが追加され、1972年にルーチェ 2代目にモデルチェンジしました。
ミニカーは1967年に発売されたダイヤペット製の当時物です。アンチモニー製で、フロントグリル/バンパーやクロームモールは下地をメッキ処理して表現しています。実車を正確にスケールダウンした秀作ですが、シンプルなデザインゆえにこの1/40のサイズではそのイメージがやや希薄になっています。多分もう少し意図的にデフォルメしたほうが良いのかもしれませんが、現状でも当時のミニカーとしてはうまい造形だったと思います。なおヘッドライトにダイヤカットガラス(ラインストーン)を使ったのは、ダイヤペットではこれが初めてのはずです。前述したモデルペットのファミリアに比べるとこちらはノーズ先端部分など少し塗装が剥がれていますが、これは子供のころに遊んで何かにぶつけたことが原因です。ボンネットとトランクが開閉するギミック付きです。2022年現在でもルーチェ 初代のミニカーはこのダイヤペット製の当時物しかありません。(ミクロペットのルーチェはプロトタイプですので別物になります) この車のデザインは素晴らしいと思うので、どこかがダイキャスト製で新規にモデル化して欲しいです。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マツダ コスモ スポーツ 日本 1967年
ロータリーエンジンを初めて搭載した市販車はドイツのNSU スパイダーでしたが、この車はエンジンも含めて車全体が実用的ではありませんでした。その点で真に実用的なロータリーエンジン搭載車は、マツダ コスモ スポーツで1967年に発売されました。マツダのロータリーエンジン開発に関する話題は省略します。こちらのWEBサイトなどを参照して下さい→ (マツダのロータリーエンジン関係のWEBサイト)
コスモ スポーツに搭載されたロータリーエンジンは2ローター(491ccX2)(110HP)の10A型で、総アルミニウム合金製でした。この画期的なエンジン同様、シャーシもダブルウィッシュボーン前輪独立懸架、リアがド ディオン アクスル、ラック&ピニオンのステアリング、4段フルシンクロ変速機など高度な内容でした。またコスモ(宇宙の意)という名前の元となった宇宙船のようなイメージのボディは、ロータリーエンジンのコンパクトさを生かしたユニークなデザインでした。当時期のトヨタ 2000GTと比較すると最高速185km/hは2000GT(220km/h)に劣りますが、0-400m加速は15秒台後半とほぼ互角で、ロータリーエンジンの圧倒的な加速の良さ(と静粛性)はレシプロエンジンとは別格の物でした。
1968年のマイナーチェンジでバンパー下のフロントグリルが変更され、ホイールベース/トレッドが拡大されて後期型になりました。後期型はホイールベースが長い為、後輪とドア後端の間のパネル幅が前期型より広いことで区別出来ます。5段変速となりラジアルタイヤ標準化が行われ、エンジンが改良されて128HPにパワーアップし、最高速が200km/hに向上しました。前期型の価格は148万円で、トヨタ 2000GTの238万円は別格として、フェアレディ 2000の88万円よりもかなり高い車でした。1972年の生産中止までに約1200台が生産されました。
ミニカーはダイヤペット製で1968年に発売されました。前期型をモデル化しています。プロポーション的にはキャビンがやや小さめでフェンダーラインより下の部分がやや厚ぼったいですが、特徴的なノーズやリアの造形は良く作ってあります。50年前に作られたということを考えると、当時のミニカーとしてはかなり良くできていました。ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きです。当時物ミニカーはこれとトミカの後期型 1/60しかありません。当時物以外のミニカーではエブロ、京商、国産名車コレクションなどはいずれも後期型をモデル化しています。2017年に発売されたトミカ リミッテド 1/64は前期型で、ほぼ同時期に発売されたMARK43(レジン製)は1967年式と称していますが後期型をモデル化しています。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア(トランク開閉)の画像です。エンジンはエアフィルターやディストリビューターなどがそこそこリアルに再現されています。リアライトの下側は何故か?彩色されていません。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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