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フォード マーキュリー ターンパイク クルーザー アメリカ 1957年
1950年代前半のマーキュリーのラインアップにはカスタムとモントレーの2モデルがありました。1955年にモントレーの上級車としてモンテクレアが追加され、1956年にカスタムはメダリストに名前が変わりました。1957年にメダリストが廃止されたので、マーキュリーの標準モデルはモントレーになりました。同年には1956年に発表されたドリームカー 「マーキュリー XM ターンパイク クルーザー」のデザインを取り入れたターンパイク クルーザーが登場しました。1958年にはモンテクレアの上級車としてパークレーンが登場しました。(実車画像→ ドリームカー マーキュリー XM ターンパイク クルーザー 1956)
ターンパイク クルーザーは2年間だけ生産されたマーキュリーの最上級車で、2ドア/4ドアハードトップと後から追加された2ドアカブリオレがありました。マーキュリーとしていち早く4灯式ヘッドライトが採用されテールフィンと一体化した斜めのテールライトとジェット機の排気口のようなリアバンパーが特徴でした。ターンパイクとは高速道路のことで、この車の名前は当時整備されつつあった州間高速道路システムにちなんだものでした。当時としては最先端装備であった高速道路で車速を一定に維持するクルーズ コントロールを備えていましたので、そのような自動車の使い方を象徴した名前でもありました。エンジンはV型8気筒6L/6.3L、高性能版でV型8気筒7L(400HP)がありました。1959年に生産中止となり、後継車はパークレーンでした。(実車画像→ マーキュリー パークレーン 1959)
ミニカーはヤトミン製で2007年頃に発売されました。ヤトミンが1950-1970年代のアメリカ車をモデル化したシリーズの1台でした。このシリーズは定価1400円ほどの安価なミニカーでしたのであまり細かいところまでは仕上げられていませんが、実車の雰囲気は良く再現されていました。このターンパイク クルーザーもフロントグリルやテールフィンなどの特徴的なデザインがうまく再現してあり、値段以上に良く出来ていました。これ以外のターンパイク クルーザーのミニカーはダンバリー ミントの1/24、アーテルの1/18、オックスフォードの1/87、M2マシンの1/64などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォード リンカーン プレミア (コンチネンタル MK III) アメリカ 1958年
1952年に廉価版のリンカーン スタンダードが廃止され、リンカーンは高級指向が強くなりました。1958年には全長5.8mと当時最大のボディに当時最強のV型8気筒7L(375HP)エンジンを搭載したリンカーン プレミア 2代目が登場しました。つり目になった4灯式ヘッドライト、クリフカット式(リアのCピラーが逆スラントしている)のルーフと独特なデザインをしていました。当時のリンカーンのラインナップには最上級のコンチネンタル、タウンカー、プレミア、ベース仕様のカプリの4モデルがありました。
コンチネンタル MK IIの解説に記載したように1957年にコンチネンタル部門はヨーロッパ風高級車ではなく、GM キャディラックなどに対抗する高級車を担当する部門にかわりました。その方針に沿って1958年に最上級のコンチネンタル MK III が登場しました。ライバルと同等の価格とする為、40%のコストダウンが必要とされ、もはや手作業での製造はできなくなりました。ボディはリンカーン プレミアと同じボディを使い、従来のコンチネンタルの路線(2ドアのパーソナルカー)とは異なる4ドアセダン系にもコンチネンタル MK IIIという名前が使われました。この流れで、1959年にコンチネンタル MK IV、1960年にコンチネンタル MK Vが登場しました。ただこのコンチネンタル シリーズは不評で、1960年にコンチネンタル部門は廃止され、全く新しいデザインのリンカーン 4代目が1961年に登場することになりました。
ミニカーは1959年に発売されたディンキーの当時物です。これは私の保有するミニカーの中でも一番古いもので、オークションで入手しました。60年以上前に作られたミニカーですが、保存状態が良くオリジナルの状態を保っています。(タイヤはきれいすぎるので、別売りされていたスぺア品に交換されているかもしれません) 1950年代のビンテージミニカーですので素朴な作りですが、プロポーションが良く、特徴的なフロント/リア周りなども結構良く作りこんであります。なおこの当時のミニカーは室内を再現しておらず、室内はがらんどうです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォード エドセル サイテーション コンバーチブル アメリカ 1958年
フォードは大衆車フォードと高級車リンカーンの間を埋めるブランドとして1938年にマーキュリーを設定しました。マーキュリーは1950年頃にはリンカーンに近い価格帯の車となりました。そこでGMの中級車(ビュイックやオールズモービル)に対抗する車でフォードとマーキュリーの間を埋める新しいブランドとしてエドセルが1958年に登場しました。エドセルという名前は創業者ヘンリー フォードの息子で2代目社長であったエドセル フォードの名前にちなんだもので、フォード家は名前を使うことには反対だったそうですが、新ブランド推進者の意向で押し切られたそうです。
エドセルはフォード/マーキュリー ブランドの車をベースにしてデザインを変える従来通りの手法で設計されました。エドセルにはセダンがグレード順にレンジャー/ペーサー/コルセア/サイテーション、ステーションワゴンがラウンドアップ/ヴィレジャー/バミューダの計7モデルがありました。エンジンは6気筒3.7L、V型8気筒4.8L/5.8L/6.7Lなどがあり、ステアリングホイール中央に配置された自動変速機の押ボタン式セレクター、回転ドラム式スピードメータ-、標準装備されたシートベルトなど先進的な技術が採用されていました。大々的なキャンペーンを経て登場したエドセルの初年度の販売台数は約6.3万台で、フォードの予想を大幅に下回りました。1959年のエドセルはフォードをベースにした低グレードのレンジャーとコルセア、レンジャーのワゴン ヴィレジャーだけとなり、販売台数は約4.5万台でした。1960年にはごく少数が生産されただけでエドセルは生産中止となりました。
販売不振でたったの2年間しか販売されず生産中止となったエドセルは、商業的な失敗事例を象徴する代名詞となりました。エドセルの失敗の原因はマーケッティングの問題(ブランドの位置づけが不明確だった)、景気低迷による低価格車志向、デザインの奇抜さなどがいわれています。奇抜なデザインとはHORSE COLLAR(馬車馬の首輪)とあだ名された縦長ラジエターグリルのことです。この当時のアメリカ車のデザインは派手なものが多いのですが、エドセルのこのデザインは派手を通り越して奇抜で品が良くないです。車の売れ行きにはデザインの影響が大きいので、個人的にはこのデザインが一番の原因ではないかと思います。
ミニカーは1990年頃に発売されたフランクリン ミント製で、1950年代のアメリカ車をモデル化した1950年代シリーズの1台です。エドセルの最上級グレードのサイテーショのコンバーチブルをモデル化しています。この1950年代シリーズはヘッドライトをメッキパーツで表現するなどややレトロな作風のミニカーでしたが、その作風が1950年代の古い車の雰囲気にうまくマッチしていました。実車がでかいのでミニカーも大きく、実車に即したピンク/白のツートンカラーで仕上げられています。プロポーションが良く、エドセルの特徴である奇抜なフロントグリル造形や灯火類などの細部もうまく再現され良く出来ています。ボンネット/ドアが開閉し、エンジン/サスペンションや室内も結構リアルに再現されています。これ以外のエドセルのミニカーは同じフランクリン ミントの1/24、ダンバリー ミントのワゴン 1/24、ジク(SIKU)の当時物 1/60、ミニチャンプスのワゴン、ホワイトボックス(イクソ)、オックスフォードの1/76などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォード サンダーバード アメリカ 1958年
フォード サンダーバードの2代目が1958年に登場しました。ボディが一回り大型化され、2シーターから4シーターに変わりました。デザインの特徴は当時のセダンとしては低い車高(1.34m)で、これを達成するために変速機とドライブシャフトを収める長いセンターコンソールが前後シートの間に設けれていました。ヒサシのついたような4灯式ヘッドライトは2灯式から4灯式に切り替わる時期の過渡的なデザインで、GM ビュイックやクライスラー ニューヨーカーなど同時期のアメリカ車によくみられるデザインでした。ハードトップとコンバーチブルがありました。
エンジンはV型8気筒5.8L(300HP)で、後に新型のV型8気筒7L(350HP)が少数ながら設定されました。市場調査で初代は2シーター車ゆえに販売が伸び悩んでいることが判明して4シーター化されたのですが、この戦略が成功しました。総販売台数は約20万台と初代の4倍弱となり、高級パーソナルカー市場を拡大させる車となりました。1961年にサンダーバード 3代目にモデルチェンジしました。
ミニカーはフランクリンミント製で、1990年頃に発売されていた1/43のシリーズ物の一つです。フランクリンミントの1/43は、当時としては非常に精巧なミニカーで、ドアやボンネットが開閉し、室内だけではなくエンジンやサスペンションなどもリアルに再現されていました。(エンジンルーム内はラジエーターファン、エアフィルターなどがはっきりわかるレベルで再現されています) 壊れにくい金属製パーツを主体的に使っているので、作風が少しレトロな雰囲気になっていました。このフランクリンミントの昔懐かしい感じの作風が私は好きです。以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォード リンカーン コンチネンタル コンバーチブル アメリカ 1961年
1961年にフォード リンカーンは革新的なモデルチェンジを行い4代目となりました。先代とは打って変わった無駄な飾りがない直線的でシンプルなデザインが採用されました。この4代目から「MK(マーク)」が付かないリンカーンのセダン系(4ドア セダンとコンバーチブル)の名前がタウンカー/プレミアからコンチネンタルに一本化されました。また高級車リンカーンのイメージを定着させる為、リンカーンはフォードの他のブランドより長期のモデルサイクルを採用することになりました。なお名前に「MK(マーク)」が付いた2ドアのコンチネンタルは1968年にコンチネンタル MK IIIとして復活しました。(実車画像→ フォード リンカーン コンチネンタル MK III 1968)
リンカーン 4代目はサンダーバード 3代目のホイールベースを延長したシャーシに、V型8気筒7L(315HP)エンジンを搭載していました。エンジンは1966年に7.6L(340HP)に拡大され、これはフォード最大の排気量でした。ボディは観音開きドアが採用されたセダンと、4ドアコンバーチブルがありました。4ドアコンバーチブルには電動格納式ソフトトップが採用されました。(実車画像→ ソフトトップ格納動画) また4ドアのコンバーチブルは戦後の車としては唯一のモデルでした。リンカーン 4代目は大幅なデザイン変更なしに、1969年まで生産されました。この基本的なスタイルを変えなかったことでリンカーン コンチネンタル 4代目のイメージが世間に定着することになりました。
ミニカーは1960年代のアメリカ車をモデル化したフランクリン ミント製の1960年代シリーズの1台で、1990年に発売されました。ヘッドライトをメッキパーツで表現するなどややレトロな作風ですが、実車の雰囲気が良く再現されていて、実に良く出来ていました。ボンネット/4ドアが開閉するギミック付きで、エンジンやサスペンションが再現され、オープンカーなので室内の細部も良く再現されています。ただフロントスクリーンが少し大きめでややアンバランスな感じがするのが惜しいです。これ以外のリンカーン コンチネンタル 4代目のミニカーは当時物ではテクノとディンキー(英)、コーギー、マッチボックス、ジク(SIKU)などがありました。当時物以外ではジョニーライトニングの1/64、グリーンライトの1/43と1/64、ミニチャンプスの大統領専用車、イクソなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)