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メリーウェザー 消防車 イギリス 1904年
イギリスのメリーウェザー & サンズ(MERRYWEATHER & SONS)社の前身は消火器(ポンプなど)を製造していた会社でした。19世紀後半にこの会社の技術者であったモーゼス メリーウェザー(Mosses Merryweather)とその息子たちがこの会社を引き継いだのでメリーウェザー & サンズという名前になったようです。同社は手動式のポンプを販売していたのですが、当時実用化されていた蒸気機関の開発も行っていました。1873年には蒸気機関で走行する路面電車の製造メーカーに蒸気機関を供給しました。これらの路面電車はイギリスやパリで使用されました。
メリーウェザー社は蒸気ポンプを馬車に載せた消防車も製作しました。1900年には「FIRE KING」と呼ばれる蒸気機関で自走する世界初の消防車を製作しました。ただこの消防車は車重が5.5tと重く、速度も20㎞/hほどと遅く操縦が面倒だったそうです。(実車画像→ FIRE KING 1900) このFIRE KINGの問題点に対応したのだと思いますが、メリーウェザーはガソリンエンジンで自走しそのガソリンエンジンで駆動するポンプを装備した画期的な消防車を製作し、1904年にロンドンの消防署に納入しました。すぐに多くの消防隊はガソリンエンジンで自走する消防車を使用するようになり、メリーウェザー社はそのような消防車を製作するトップメーカーになりました。メリーウェザー社は現在も消火器の販売やその検査サービスを続けているようです。
ミニカーは1999年に発売されたマッチボックス製です。1904年に登場したガソリンエンジン搭載の消防車をモデル化しています。初期の消防車をモデル化したマニア向けのマッチボックス ファイアーエンジン シリーズの1台でした。ロンドンのサウスケンジントンにある科学博物館に収蔵されている実車を忠実にモデル化してあり、細部までとてもよく出来ています。ボンネットを開いた状態でモデル化されているので、エンジンも再現されています。(ボンネットを閉じることはできません) 後輪がチェーンで駆動されていて、後部の四角い箱が水タンクでその手前にある金色の円筒形の物が放水用ポンプでしょう。タンクの横にはこの消防車が納入されたフィッチリー消防隊「Finchley District Council Fire Brigade」のロゴが表示されています。備品のホースやホースリールもリアルに再現されています。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ネイピア 6 速度記録車 イギリス 1905年
イギリスの技術者デビット ネイピアが1808年に設立した D.ネイピア アンド サン社(D. Napier & Son Limited)は蒸気機関による印刷機を製造し、その後旋盤などのさまざまな精密機器を製造しました。デビットの息子のモンタギューは当時の自動車レースに熱中し、高性能なエンジンを搭載するレースカーを開発しました。その車はレースで活躍し、彼は自動車製造を始めました。1903年に発売した世界初の量産6気筒4.9L(30HP)エンジン搭載車は極めて高性能で商業的に成功しました。その後4気筒エンジン搭載車も追加され、第1次大戦前には年間700台を生産する高級車メーカーとなっていました。
第1次大戦の勃発で自家用車は売れなくなり、軍用車と航空機用エンジンの生産が主流となり、1920年代には自動車の生産が終わりました。ネイピアは第2次大戦まで航空機や船舶用エンジンの生産を続け、戦後の1942年に同業のイングリッシュ エレクトリックに買収されましたが、その後も1960年代まで航空機用エンジンの製造を行いました。現在はネイピア ターボチャージャー社として産業用のターボチャージャーを製造しています。
ミニカーは1984年に発売されたブルム製です。ネイピア 6 (6とは6気筒の意味)と呼ばれた当時のレースカーで、1905年にアメリカのオーモンド ビーチで168.41km/hの速度記録を達成した6気筒15L(90HP)エンジン搭載車をモデル化しています。ブルムの初期のミニカーで、実車画像と見比べると、実車がそこそこリアルに再現されていて良く出来ています。(ワイヤースポークホイールが実車画像と違っていますが、ワイヤースポーク仕様の実車画像もありました) ボンネット全体を取り囲む積層された管はラジエーターです。 カーボンブラックを使っていないホワイトタイヤが時代を感じさせます。なおネイピアの量産ミニカーは2023年現在でもこれしか無いようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ロールス ロイス シルバー ゴースト (40/50HP) イギリス 1907年
イギリスの電気技術者フレデリック ヘンリー ロイス(Frederick Henry Royce)は購入したガソリン自動車の品質に満足できず、自らで自動車の製作に着手しました。彼が製作した試作車の性能に惚れ込んだ貴族のチャールズ スチュアート ロールズ(Charles Stewart Rolls)がその車を独占販売する契約を結び、1904年にロールス ロイス社が誕生しました。初期のロールス ロイスには2、3、4、6気筒の4モデルがありました。ロールス ロイスは部品の規格化を徹底して行うことで高品質を誇っていました。1906年には自動車史上最も偉大な車であるシルバー ゴースト(40/50HP 6気筒7.4Lエンジン搭載)が登場しました。
1907年にシルバー ゴーストは15000マイル(24000km)を燃料補給時以外ノンストップ、無故障で走破するという過酷な耐久試験を行いその優秀性を実証しました。この試験に使われた車が銀色に塗装され「SILVER GHOST」というプレートを付けていたことから、以後この名前が正式名称となりました。なおGHOST(幽霊)というのは音もなく静かに走ることから名付けられたようです。高度な品質管理で製作されたシルバー ゴーストのシャーシは長持ちしましたので、古くなった車はボディを載せ替えて霊柩車や軍用装甲車などに転用されました。なおロールス ロイスのフロントグリル上の有名なマスコット「スピリット オブ エクスタシー (Spirite of Ecstasy)」は1912年頃から使われ始めたとのことでこの車には付いていません。
ミニカーは1969年に発売されたマッチボックス製のY(Yesteryear)シリーズの1台です。1960-70年代のミニカーですので素朴な造形ですが、基本的なプロポーションは良くできていました。フロントグリルのRRのロゴ、リーフスプリングのリアサスペンション、スペアタイヤなどの細部は当時のミニカーとしてはかなりリアルに再現されていました。なおヘッドライトのステーがフロントグリルから生えていますが、これはマッチボックス流の簡略化手法です。クラシックカーのミニカーを安価で提供する為に、Yシリーズはこのような簡略化でコストダウンしていました。これ以外のロールス ロイス シルバー ゴーストのミニカーは同じマッチボックスの1/55とランドレー仕様の 1/48、マッチボックスのコピーと思われるナコラル、フランクリン ミントの1/43と1/24と1/12などがあります。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ロールス ロイス シルバー ゴースト (40/50HP) イギリス 1907年
イギリスの電気技術者フレデリック ヘンリー ロイス(Frederick Henry Royce)は購入したガソリン自動車の品質に満足できず、自らで自動車の製作に着手しました。彼が製作した試作車の性能に惚れ込んだ貴族のチャールズ スチュアート ロールズ(Charles Stewart Rolls)がその車を独占販売する契約を結び、1904年にロールス ロイス社が誕生しました。初期のロールス ロイスには2、3、4、6気筒の4モデルがありました。ロールス ロイスは部品の規格化を徹底して行うことで高品質を誇っていました。1906年には自動車史上最も偉大な車であるシルバー ゴースト(40/50HP 6気筒7.4Lエンジン搭載)が登場しました。
ロールス ロイス シルバー ゴーストの6気筒エンジンのアイドリング回転数は180rpmで、ほとんど音がしなかったそうです。変速機はオーバードライブ付きの4段で最高速(約120km/h)でもエンジン回転数は1800rpmと超低速型で、走行中でも音が静かなのはこの辺に理由があったようです。もちろんエンジン以外のすべての部品が手仕上げで入念に作られて調整されていることも忘れてはいけませんが。 100年以上前の1907年に耐久試験を行った実車が、現在でも走行可能な状態でロールス ロイス社で保存されていることは有名です。それ以外にも現在でも走行可能なシルバー ゴーストが存在するとのことから、シルバー ゴーストの類い希な耐久性と信頼性が分かると思います。
ミニカーはフランクリン ミント製で2004年に入手しました。ロールス ロイス社に保存されている実車(車番AX201)を忠実に再現しています。フランクリン ミントはシルバー ゴーストを1/43、1/24、1/12の3つの縮尺でモデル化しています。これは1/43で、フランクリン ミントの1/43のクラシックカーはいずれもレベルの高い出来ばえでした。シルバー ゴーストはその中でも最後に製作されたものなので、一番完成度が高いです。50点ほどのパーツを組立てた精巧なミニカーで、シルバー ゴーストの1/43のミニカーとしては2023年現在でも最高の出来ばえといって間違いないでしょう。ドアが開閉し運転席足元の各種メータが再現され、ボンネットを取り外すと6気筒エンジンがリアルに再現され、床下にはフレーム/サスペンション/車軸までリアルに再現されています。以下はフロント/リアの拡大画像です。フロントグリルの上に付いている「AA」のエンブレムはイギリスの「AUTOMOBILE ASSOCIATION(イギリス自動車協会)」の会員バッチです。ロールス ロイスの有名なマスコット「フライング レディ(The spirit of Ecstasy)」が公式に使われるようになったのは1911年頃からでした。 (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランチェスター 20HP ランドレー イギリス 1908年
優れた技術者であったランチェスター 3兄弟が1895年に設立したランチェスター エンジン社はイギリスで最初にガソリンエンジン搭載自動車を製作した会社でした。1985年に単気筒1.3Lエンジンを搭載した第1号車が完成し、それを改良して空冷2気筒4Lエンジンを搭載した量産車が1901年から販売されました。この車はエンジンをカバーするボンネット部分がなく、サイドレバー操作による前輪操舵、遊星歯車を使った変速機など独創的な技術で構成されていました。1904年にランチェスター エンジン社は清算されランチェスター モーター社として再建されました。(実車画像→ ランチェスター 12HP 1901)
1904年に水冷4気筒2.5Lエンジン搭載車、1905年には6気筒エンジン搭載車、1906年にはシャフトドライブ式6気筒エンジン搭載車が登場しました。1908年からは前輪操舵が一般的なステアリングホイール式となりました。1911年には新しい4気筒エンジン搭載車と6気筒エンジン搭載車が登場しました。第1次大戦中は航空機エンジンと装甲車を生産しました。戦後は6気筒エンジン搭載のロールス ロイス並みの高級車を生産しましたが、経営不振で1931年に高級車メーカー ディムラー社に買収されました。以後ランチェスターの名前は1950年代まで残っていましたが、その中身はディムラーでした。
ミニカーは1960-1970年代に発売されたフランスのMINIALUXE(ミニオール)製です。モデル化しているのは4気筒2.5Lエンジンを搭載した20HPだと思われます。この20HPは初期のランチェスターの特徴であるボンネット的な部分が無い構造で、運転席手前のカバーのようなものでエンジン部分を覆っています。また前輪は運転席右側にあるレバーで前輪を操舵しました。MINIALUXEのミニカーは全てプラスチック製でクラシックカーに付き物の灯火類や操作レバーがきちんと別パーツで取付けられているなど、当時のミニカーとしてはかなりリアルに作ってありました。このランチェスターも大きなラジエータなどフロント周りの特徴的な造形がリアルに再現されていて、とても良い出来ばえです。ランチェスターの量産ミニカーはこれしか無いようですので、車種的に貴重な存在です。MINIALUXEのクラッシックカーのミニカーにはこのような珍しい車種がいくつかありました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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