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マセラティ ミストラル イタリア 1964年
1959年にマセラティ 3500GTにV型8気筒5L(340HP)エンジンを搭載した5000GTが登場しました。5000GTの最初の車はカロッツェリア ツーリングが架装したイラン国王用の特注仕様車で「Shah of Persia(ペルシャの国王)」と呼ばれました。その後1966年までに、ツーリングやベルトーネなどのカロッツェリアが特注ボディを架装した5000GTが約30台ほど生産されました。(実車画像→ マセラティ 5000GT Shah of Persia 1959)
3500GTの後継車として1962年に2+2シーターのセブリング、1963年に2シーター クーペのミストラルが登場しました。基本設計はどちらも3500GT スパイダーと同じで、ミストラルはホイールベースが100mm短くなっていました。当初のエンジンはDOHC 6気筒3.5L(235HP)でしたが、すぐに6気筒3.7L(245HP)に代わり、5段変速で最高速245km/hの性能でした。1966年には6気筒4L(265HP)エンジンが追加されました。ミストラルには少数ですがカロッツェリア フルアがデザインしたオープン仕様のスパイダーもありました。1970年まで生産され、総生産台数はミストラルが約1000台、セブリングは約600台でした。(実車画像→ マセラティ セブリング)
ミニカーは1965年に発売されたソリド製の当時物です。1960年代のミニカーなので、バンパー、グリル、ホイールがまだ金属で作られているレトロな作風ですが、実車の雰囲気が良く再現されていて当時のミニカーとしてかなり良い出来ばえでした。ボンネット/ドアが開閉するギミック付きで、エンジンも金属製パーツで再現されています。これ以外のミストラルの当時物ミニカーはメーベトイ、ジク(SIKU)、ポリトーイ初期のプラスチック製とPENNYシリーズの1/66がありました。当時物以外ではミニチャンプスの1/43と1/18、イクソなどがあります。セブリングのミニカーはポリトーイの当時物、ネオ(レジン製)などがあります。5000GTのミニカーはミニチャンプス、ネオ(レジン製)、KESS MODEL(レジン製)などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マセラティ クワトロポルテ イタリア 1966年
マセラティの最上級車5000GTの後継車として、1963年にクワトロポルテが登場しました。クワトロポルテとはイタリア語で「4ドア」という意味で、まさしくその名前どうりの4ドアセダンで、ピエトロ フルアのデザインでした。DOHC V型8気筒4.1L(260HP)エンジンを搭載し、4輪ディスクブレーキ、5段変速で最高速210km/hの性能でした。 内装は豪華で、パワステ、パワーウィンドー、エアコンが標準装備され、ジャガーなどに匹敵する高性能サルーンでした。1966年のマイナーチェンジで、ヘッドライトが角形2灯から丸型4灯に変わりました。1968年に排気量を4.7Lに拡大し、1971年までに約700台が生産されました。
1966年にマセラティはシトロエンと業務提携し、1968年に経営難でシトロエン傘下となりました。シトロエン傘下の1974年にクワトロポルテ II(2代目)が登場しました。クワトロポルテ IIはシトロエン SMをベースにしていたので駆動系はSMと同じ前輪駆動方式で、SMのV型6気筒2.7L(173HP)エンジンを3L(210HP)に拡大して最高速200km/hの性能でした。またSMの特徴であった油圧式サスペンションや角形ヘッドライトまで同じでしたので、SMの4ドアセダンのような車でした。(デザインはベルトーネでした) 従来のマセラティとは全く毛色の違う車となったので評判は悪く、製作されたのはたったの13台でした。なお経営難が続いていたマセラティは1975年にはデ トマソの傘下となりました。(実車画像→ マセラティ クワトロポルテ II)
ミニカーは1968年に発売されたポリトーイの当時物です。ヘッドライトが角形2灯から丸型4灯に変わったクワトロポルテ 初代の後期型をモデル化しています。フロント周りの造形は悪くないのですが、4ドアが開閉するギミックを付けた為かキャビン周りの出来が良くありません。またボディ全体のプロポーションもトランク部分が大きすぎるなど実車に似てないので、あまり出来は良くないです。実車画像を見てもらえれば、本物はもっと優雅なデザインであったことが分かります。 これ以外のクワトロポルテ IIのミニカーはミニチャンプス、ホワイトボックスなどがあります。クワトロポルテ 2代目のミニカーはレジン製でKESS MODELとBOSS MODELSがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マセラティ ギブリ イタリア 1966年
マセラティ セブリング/ミストラルの上級車として、1966年にメキシコ/ギブリが登場しました。マセラティ メキシコは元々は5000GTにミケロッティのデザインでヴィニャーレ製の2+2シータのクーペボディを架装したプロトタイプでしたが、この車の評判が良かったので量産化されることになりました。最初の車がメキシコの大統領に売られたのでメキシコという名前になったそうです。DOHC V型8気筒4.7L(290hp)エンジンを搭載し、最高速240km/hの性能でした。内装は豪華でエアコン、パワーウインドウが標準装備で、ラジオ、自動変速機などがオプション設定されました。1969年にV型8気筒4.2Lエンジンが追加され1972年まで生産されました。総生産台数は約480台でした。(実車画像→ マセラティ メキシコ 1966)
マセラティ ギブリはメキシコと同じ構造ながら、ホイールベースが短い2シーターのクーペでした。デザインはカロッツェリア ギア時代のG.ジウジアーロによるもので、リトラクタブルヘッドライトを採用した直線基調のスタイルとなっていました。V型8気筒4.7Lエンジンは330HPにチューンされ、最高速265km/hの性能は当時のフェラーリ デイトナと張り合う高性能でした。1969年にオープン仕様のギブリ スパイダーが設定され、1970年には排気量を4.9L(335HP)に拡大したギブリ SSに発展しました。1973年まで生産され、総生産台数は約1200台でした。後継車はカムシンでした。(実車画像→ マセラティ カムシン 1974)
ミニカーは1975年に発売されたオートピレン製の当時物です。オートピレンは他社のミニカーのコピーが多いのですが、これも基本的なボディの造形はポリトーイ製のギブリをベースにしているので、実車の雰囲気はポリトーイ流でうまく再現されていました。ただし単なるデッドコピーではなく、メタル製ホイールと室内の造形はオートピレン流に変更していました。またオートピレンがよく使うこの赤いメタリックカラーもこの車には良く似合っていました。これ以外のギブリのミニカーはこれのベースとなったポリトーイの当時物、ノレブの当時物、ミニチャンプスのクーペ/スパイダー、イクソのクーペ/スパイダーなどがあります。メキシコのミニカーはレジン製でネオ(NEO)とマトリックス(MATRIX)があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マセラティ インディ イタリア 1969年
マセラティ メキシコ/ギブリの上級車としてインディが1969年に登場しました。ギブリのようなクーペ スタイルで大人4人が乗れるというのがインディの特徴でした。名前のインディはマセラティがインディ 500を1939年から2連覇したことにちなんだものでした。大容量のラゲッジスペース、パワーステアリング、総革張りの豪華な内装など、居住性に配慮した高級なGTカーに仕上げられていました。ギブリに似たクーペ スタイルながら落ちついた雰囲気も感じられるのは、当時カロッツェリア ヴィニャーレに所属していたミケロッティのデザインだからでしょうか。
当初はDOHC V型8気筒4.2L(260HP)エンジンを搭載し、5段変速で最高速250km/hの性能でした。1970年にV型8気筒4.7L(290HP)エンジンが追加されました。1973年にはV型8気筒4.9L(330HP)エンジンに変わり最高速は280km/hに向上しました。同時に内装などが変更され、当時の親会社であったシトロエンの油圧制御式ブレーキシステムが採用されました。1975年まで生産され総生産台数は約1100台でした。
ミニカーは1971年に発売されたソリド製の当時物です。ソリドらしいシャープな造形で実車のイメージが良く再現され、当時のミニカーとしては素晴らしい出来ばえでした。現在のミニカーに比べるとワイパーやミラーなど細かなパーツが付いていないですが、そのような細かいパーツがない昔のミニカーの方がかえって実車のイメージをうまく再現できることもあるのです。(1/18ぐらいの大きさになると、ワイパーやミラーがないのは違和感が出てきますが) ドアとハッチバックが開閉するギミック付きです。これ以外のインディのミニカーはガマの当時物、ミニチャンプス、イクソ(廉価版のホワイト ボックス)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像とハッチバック開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マセラティ ボーラ イタリア 1971年
マセラティは1968年にシトロエン傘下となりました。シトロエンの意向でマセラティは同社初のミドシップエンジンの2シータースポーツカーを開発し、1971年にボーラとして発表しました。デザインはギブリと同じイタルデザインのG.ジュージアーロで、ギブリのイメージをミドシップエンジン車として進化させたスタイルでステンレス製のルーフが特徴でした。ギブリ用のV型8気筒4.7L(310HP)エンジンを搭載し、マセラティ市販車初の全輪独立懸架サスペンションを採用し、シトロエンのハイドロニューマティック方式油圧システムがブレーキ制御/ヘッドライト開閉などに使われていました。
1973年にアメリカ排ガス規制対策で、アメリカ向けはエンジンが4.9L(300HP)に変更されました。1976年には4.9L(320HP)エンジンが標準になりました。フェラーリのミドシップスポーツカーは12気筒エンジンを搭載しており、8気筒エンジンのボーラは性能的に見劣りがしました。また外観的にも派手さが足りなかったのかボーラの販売は芳しくなく1978年に生産中止となりました。総生産台数は約500台でした。
ミニカーは1977年に発売されたダイヤペット製の当時物です。1970年代後半の日本はスーパーカーブームの真っ只中で、これはそのブームに乗じて作られました。現在的な見方ではいまひとつの出来ばえに見えますが、当時の国産品ミニカーとしては結構良い出来ばえでした。プロポーションは悪くないのですが、車高が高いので不格好に見えます。ボディを少し押し下げてやると見ばえが良くなります。リトラクタブルヘッドライト開閉、フロントトランク/ドア/リアエンジンカバー開閉のギミック付です。これ以外の国産当時物ミニカーではトミカ ダンディ、サクラのスーパーカーシリーズ、エーダイのグリップ(1/28)などがありました。国産品以外の当時物ではマッチボックスやメーベトイなどがありました。当時物以外ではミニチャンプスやイクソなどがあります。 以下はフロント(リトラクタブルヘッドライト開閉)/フロントトランクを開いた画像とリア/リアエンジンカバーを開いたエンジンルームの画像です。なお室内の助手席の前に見える赤い球の付いたレバーは、手前に押し込むとフロントのトランクが開くようになっていました。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)