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フィアット 18BL トラック イタリア 1914年
1857年にイギリスで大砲を牽引する為の蒸気車が開発され、1870年の独仏戦争で初めて使用されました。19世紀末には馬に代わる輸送手段として、欧米各国でガソリン自動車による軍用車の開発が進められました。イタリアでも軍隊の要請で、フィアットが物資の運搬だけではなく多目的に使える軍用車 フィアット 15を1909年に開発しました。15は積載量1.5tのトラックで、4気筒3L(16HP)エンジンを搭載していました。1913年には4気筒4.4L(40HP)エンジン搭載の15Bに発展しました。(実車画像→ フィアット 15)
1911年には積載量を3.5tに増やした18が開発されました。1914年に改良型の18BLが登場し、18BLの軍隊仕様(サスペンションなどを強化している)は同年に始まった第1次大戦で軍用車(兵員や物資の輸送車、野戦病院としての救急車、軽量戦車、大砲の牽引車など)として使われました。15Bと18BLの軍用車は当時のイタリア軍の作戦に不可欠な最新装備でした。 軍用に開発されたトラックですが、それらはすぐに民間の流通サービスに普及していきました。またバスボディが架装され、路線バスなどの公共交通サービスにも使われました。この流れはイタリアだけではなくどの国も同じでした。18BLはイギリスやフランスなどでも使用され、約20000台が生産されました。
ミニカーは1980年代に発売されたリオ製です。これより先に発売されていた型番20の18BL バスを流用してトラックに仕立てたものです。フロントグリルに接続された幌を補強する革バンド(初期物は本物の革製)、リアルに再現されチェーン駆動のリアドライブやサスペンションなど、それらはリオのクラシックカーに共通する凝った仕上げで、この18BL トラックもかなり良い出来ばえでした。バリエーションとして軍用トラック、幌や灯火の無いトラックなどが十数種類ありました。なおフィアット 18BLのミニカーはこのリオのものしかありません。 以下はフロント/リアの拡大画像と後輪チェーン駆動部の画像です。なお以下のミニカーは初期物ですので、革バンドは全て本革です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アルファ 40/60HP リコッティ イタリア 1914年
1913年に発表された4気筒6.1Lエンジン搭載の高性能車 アルファ 40/60HPは主にレーシングカーとして活躍しました。このリコッティという名前の車は、アルファの有力な後援者であったリコッティ伯爵の依頼で、40/60HPのシャーシにカロッツェリア カスターニャがアルミ製の流線型ボディを架装した空力的な実験車でした。当時はこのような涙滴型が最も空気抵抗が少ないと考えられていたのですが、ここまで徹底したボディを製作したのは画期的だったと思います。
その実験の結果ですが、オリジナルの40/60HPは最高速が125km/hしか出なかったのですが、この車は最高速139km/hを記録し空力的な効果を証明したとのことです。実験車とはいえ、流線型ボディの中には4人分のシートがありヘッドライトもついているので、乗用車としても使えたようです。実際にこの車のトルペード(オープンカー仕様)に運転手とオーナー?が乗車している当時の写真がWEB上にありました。(実車画像→ アルファ 40/60HP リコッティ トルペード)
ミニカーは1973年頃に発売されたリオ製です。リオはちょっと変わった形をした自動車初期の速度記録車をいくつかモデル化しています。(型番56 ジェネラル 'グランプリ'や型番60 電気自動車 ジェナツィ 'ジャメ コンタント'など) このリコッティもその1台で、特徴的な流線形ボディがうまく再現されていて、良く出来ています。またリオのミニカーに共通することですが、室内やエンジン/シャースなどのメカ部分もきちんと再現されています。これは後部のドアが開閉するギミック付きです。なおリコッティのミニカーはこのリオ製しかないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランチア シータ イタリア 1914年
ランチア社はフィアットのレーシングドライバーであったヴィンチェンツォ ランチア(Vincenzo Lancia)が1906年に設立しました。ランチア社のモットーは「技術的な妥協を排する」で、他社の模倣をしない進歩性のある車を作っていました。1908年に登場した第1号車のティーポ 51(12HP)は4気筒2.5L(28HP)エンジンを搭載し4段変速で最高速90km/hと高性能で、ほとんどがレースカーとして使われました。ランチアはギリシャ文字を車名にしていて、この第1号車はアルファ(α)と呼ばれました。(実車画像→ ランチア アルファ 1908)
ランチアの最初の成功作は1913年に登場したシータ(ギリシャ文字 θ)でした。シータは4気筒4.9L(70HP)エンジンを搭載した大型車で、4段変速で最高速120km/hの性能でした。この車は発電機、スターター、ヘッド/テールライト、室内照明などの電装品(6V仕様)がボディ架装前に組付けられた最初の車でした。(当時電装品はボディが完成してから組み付けていました) シータは高性能で上質な車として成功し、1918年までの5年間で約1700台が生産されました。
ミニカーは1960-1970年代に発売されたクラシックカーの専門ブランドのドゥグー製です。ランチア シータの4ドアリムジーンをモデル化しています。ドゥグーは大人のマニア向けのミニカーで、イタリアのビスカレッティ自動車博物館に保存されていた実車を忠実にモデル化していました。このシータはドゥグーとしては廉価版のMUSEOシリーズの1台なので、特別に凝った作りではありません。ただシンプルな造形ながらボンネット周りの造形など実車の雰囲気がうまく再現されていて、当時のミニカーとしてはレベルの高い出来ばえでした。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 18BL バス フィレンツェ-ポッジボンシ-ヴォルテラ イタリア 1915年
ガソリンエンジンを搭載した最初のバスは1895年のベンツとされていて、乗合い馬車にボディにエンジンを追加したものでした。同時期に当時のライバルのダイムラー社もバスを開発していました。ダイムラーのバス用シャーシはイギリスに輸出され、ミルネス-ダイムラー(MILNES-DAIMLER)社でバスボディが架装されました。1904年に有名な2階建てロンドンバスの最初のモデルが登場しました。(実車画像→ 2階建てロンドンバス 1904)
イタリアでも前述したフィアット 15や18BLなどのシャーシにバスボディが架装されました。標準ボディとして12-14人乗りと20-36人乗りの2タイプが準備されていたとのことですが、実際にはバス会社の要望に応じて様々なボディが架装されたようです。バス会社としてはできるだけ乗客や荷物を載せたいという要望があり、屋根にも座席を設けたフィアット 2階建てバスがイタリアにもあったようです。(実車画像→ フィアット 2階建てバス 1906) (ただ座席が無くても屋根に人を載せていたようですが) さらに路線バスだけではなく、夏のバカンスでリゾートに行く現在の観光バスのような路線も運行されるようになりました。
ミニカーは1967年頃に発売されたリオ製です。イタリア中部のフィレンツェと郊外のヴォルテラとの間をポッジボンシ経由で運行していたフィアット 18BL 路線バスを再現しています。(屋根に行先が表示されてます) 50年以上前に作られたミニカーですが、現在のミニカーと比べてもほとんど遜色がないぐらいの良い出来ばえです。画像では分かりにくいですが、室内もそこそこ良く再現されていて、中央に通路があり4座の座席が4列と荷物置き場があることが分かります。また室内のカーテンや屋根に上る梯子もついてます。リオはシャーシやサスペンションなどのメカ部も再現しているのが特徴で、この18BLもチェーン駆動の後輪がリアルに再現されています。他の路線バスや遊び心のあるJUST MARRIED(結婚しました)仕様などのバリエーションが数種類ありました。なお18BLのミニカーはこのリオ製しかありません。 以下はフロント/リアの拡大画像と後輪駆動部の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 501 トルペード イタリア 1919年
前述したように第1次大戦で生産中止となったフィアット タイプ 0に変わる新型大衆車501が1919年に登場しました。501はタイプ 0とほとんど同じ大きさでしたが、501では標準ボディがオープン トルペードから4ドアセダンの密閉型ボディとなりましたので車重が増加しました。4気筒エンジンは1846㏄から1460ccにサイズダウンされましたが、出力は23HPで4HPパワーアップしていましたので、性能的にはほとんど同じでした。
1922年にエンジンを27HPにパワーアップしたスポーツ仕様の501S(最高速92km/h)と、さらに30HPにパワーアップした501SSが設定されました。このスポーツ仕様車はフィアット初のスポーツカーといわれ、501SSはウィンドースクリーンが中央で折れ曲がりV字型になっているなどスポーティな外観でした。また商用バン(フルゴンチーノ)の501Fも設定されました。1923年にホイールベースを拡大した502が登場し、1926年に後継車の503にモデルチェンジしました。501の総生産台数は数万台で、イタリア国内だけではなく世界中で販売されました。(実車画像→ フィアット 503 1926)
ミニカーは1970年代に発売されたリオ製です。501のトルペード(魚雷のことでオープンタイプのボディ形式の意)をモデル化しています。リオのクラシックカーはマニア向けで灯火類、操作レバー、フェンダーなどの細かいパーツから、シャーシやサスペンションなどのメカ部分までリアルに再現されていました。この501もフロントグリルや灯火類などがリアルに再現されているので、第1次大戦前のタイプ 0と比べてみると全体的に角に丸みがつくなど新しくなっていることがわかります。これ以外の501のミニカーはポリトーイの初期物(プラスチック製)で501Sがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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