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アルファ ロメオ ジュリア カングーロ ベルトーネ イタリア 1964年
アルファ ロメオ ジュリア カングーロは1964年のパリ サロンで公開されたデザイン コンセプトカーでした。レースカーのアルファ ロメオ TZをベースにした公道仕様車を提案したもので、余分な空間を切り取って美しい流線形ボディにまとめたデザインは、ベルトーネに在籍していた若かりしG.ジウジアーロによるものでした。ボディはファイバーグラス製でTZのアルミニウム製ボディより軽量でした。
カングーロは発表当時そのデザインが絶賛されましたが、TZのシャーシの供給不足などの理由で生産化はされませんでした。ただこのデザインはその後のアルファ ロメオの量産車デザインに生かされました。その代表的なモデルとしては1970年に登場したアルファ ロメオのスーパーカーであったモントリオールがありました。なお車名のカングーロ(イタリア語)は、英語ではKANGAROO(カンガルーの意)のことです。
ミニカーは1967年に発売されたポリトーイ製Mシリーズの当時物です。 実車と比べると、ヘッドライトが小さ目で全体的なボリューム感が少し抑え気味に感じますが、その辺はポリトーイ流のデフォルメだと思います。ドアとフロントカウルが開閉するギミック付きで、このミニカーの見どころは大きく開くフロントカウルと、その下のエンジンルーム内のエンジン等のリアルな再現です。このようにエンジン/サスペンションなどのメカをリアルに再現しているのが当時のポリトーイ Mシリーズの特徴でした。また50年以上も前に作られたミニカーながら塗装の艶などはまだ新品のようで、ポリトーイの塗装品質が優秀だったことがわかります。この魅力的なミニカーは、私がミニカーを集めるきっかけになった1台でしたので、今でもとても大切にしています。(銀Mの色違いも持っています) これ以外のカングーロの当時物ミニカーとしては、同じポリトーイのペニーシリーズの1/66、マーキュリー、ポリトーイをコピーしたジョアルがありました。最近ではNEO(レジン製)がモデル化しています。 以下はフロント/フロントカウルを開いたエンジンルームの画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ 158 F1 イタリア 1964年
156 F1の後継として158 F1が1964年に登場しました。156 F1後期型がベースで、エンジンはV型8気筒1.5L(210HP)で、ボッシュの燃料噴射を採用していました。ノーズ左右のNACAダクトと空色に塗られたホイールが外観上の特徴です。(鋳造マグネシウム製ホイールは酸化されやすくので強度保持の為塗装されていました) バンク角180度(水平対向)のV型12気筒エンジン(225HP)を搭載する1512 F1も同時に開発されました。(1512とは1.5L12気筒の意) このエンジンは後の365 BBなどのミドシップ スポーツカーで使われたエンジンのベースとなりました。
1964年シーズンはフェラーリ、ロータス、BRMの3チームが競う展開でした。フェラーリはJ.サーティースのドライブでドイツ GPとイタリア GPで2勝し、オーストリア GPでは156 F1が1勝し、フェラーリはドライバーとコンストラクターの2冠を獲得しました。なおフェラーリは競技運営上のトラブルで競技ライセンスを返上した為、終盤のアメリカ GPとメキシコ GPでは、ワークスではないアメリカのNARTチームとして参加しました。 1965年シーズンはロータス 33が圧倒的に強く、フェラーリ 158 F1は1勝もできませんでした。1966年に後継車の312 F1が登場しました。
ミニカーはブルム製で、1999年頃発売されました。1964年のイタリアGP 優勝車(ドライバー J.サーティース)をモデル化しています。ブルムのF1 ミニカーもこの頃には、コクピットのインパネやエンジン部などの細部が初期に比べるとまずまずの良い出来ばえになりました。ブルムはバリエーションでアメリカのNARTチームが使ったカラーリングが赤ではない158 F1と1512 F1もモデル化しています。それ以外の158 F1のミニカーはイクソ、マテルなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像とコクピット/俯瞰の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ 275 GTB イタリア 1964年
フェラーリ 250シリーズは1964年からV型12気筒3.3L(260HP)エンジンを搭載する275シリーズに切り替わりました。(275とは1気筒の排気量が275㏄の意) ロングノーズ/ショートデッキのボディはピニンファリーナのデザインで、2ドアクーペのGTB(GRAN TURISMO BERLINETTA)とオープンのGTS(GRAN TURISMO SPIDER)がありました。275シリーズはトランスアクスル方式(変速機をリアのデフギアと一体化した構造で前後輪重量配分が向上)と全輪独立懸架をフェラーリのロードカーとして初めて採用しました。またレースカーをベースとせず、最初からロードカーとして遮音などを考量して設計されたので、居住性が向上していました。
1966年にはフェラーリのロードカーとして初めてエンジンがDOHC化され、吸排気バルブを駆動する4カムを意味する4が追加されて名前がGTB/4となりました。エンジン出力は300HPにパワーアップし、最高速は260km/hでした。エンジン変更でボンネット中央にわずかな膨らみ(パワーバルジ)が追加され、フロントの空力特性改善の為ノーズが少し長くなりフロントグリルが小さくなりました。1968年まで生産され、275シリーズの総生産台数は約900台でした。後継車は1968年に登場した365 GTBでした。
ミニカーは1968年に発売されたポリトーイ製Mシリーズの当時物です。キャビン部分を小さめにしたポリトーイ流のデフォルメがされているので、ミニカーとしてはかっこいいのですが、実車と比べるとフェンダーラインより下の部分のボリュームがやや大きすぎます。ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きです。ポリトーイのMシリーズはエンジンなどのメカをリアルに再現しているのが特長で、この275 GTBも12気筒エンジンがリアルに再現されています。購入してから50年以上経過していますが、ボディは新品同様の艶があり、当時の塗装技術が優れていたことが分かります。
子供の頃から実車とプロポーションが異なるこのミニカーを見慣れているので、実車の写真を見て「ミニカーに実車が似ていない」という変な感覚を生んでしまう程、私はこのミニカーに格別の魅力を感じています。こんな具合にミニカーには実車の魅力を別にしてミニカー独自の魅力が生じることがあり、その点では実車を正確にスケールダウンしたスケールモデルとデフォルメしたミニカーには違いがあります。(ただし最近のミニカーはほとんどがスケールモデルですが) フェラーリ 275の当時物ミニカーはディンキー、エディルトイ、ノレブ、ジク(SIKU)などがありました。当時物以外ではボックスモデル、アートモデル、ベストモデル、イクソ、Bブラーゴなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームとリア(トランク開閉)/の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランボルギーニ 350GT イタリア 1964年
イタリアの農機具(トラクター)メーカー ランボルギーニ トラットリーチ社の社長フェルッチオ ランボルギーニは自動車マニアで、高級車を多く所有していましたが何れにも満足していませんでした。彼は自分のフェラーリの修理費用が高額であったことから高級車ビジネスが儲かることに気がつきました。またメカニックであった彼の自分の思いどおりの車を作りたいというロマンもあいまって、スーパーカーを製造するランボルギーニ社を1962年に設立しました。
最初のモデル350GTVの開発はフェラーリ 250GTOの開発を行ったジオット ビッザリーニが行いました。DOHC V型12気筒3.5L(360HP)エンジンはフェラーリよりも高度な4カム仕様で、サスペンションも4輪ダブルウイッシュボーンとこれもフェラーリを凌ぐ仕様でした。350GTVは1963年にトリノショーに出展されましたが、フランコ スカリオーネのデザインしたリトラクタブルライトを採用したフロント部分や高性能すぎることがフェルッチオ ランボルギーニのお気に召さず、この車は発売されませんでした。(実車画像→ ランボルギーニ 350GTV) ランボルギーニ最初の市販車 350GTは350GTVを改良したもので、アルミ製ボディのデザインはトゥーリングがフロント部分を手直し、エンジンは270HPにデチューンされ最高速250km/hの性能でした。1964年から生産を開始し130台ほどが生産されたそうです。
1966年に350GTのルーフラインを変更し全高を少し上げることで居住性を向上させ、2+2の4座席とした400GTが登場しました。(350GTの後席は1座+荷物スペース) 外観上の大きな違いとしてはヘッドライトが丸型4灯式に変わっていました。居住性の改良に取り組んだという点で、400GTにはフェルッチオ ランボルギーニの考え方が反映されているように思います。エンジンは3.9L(330HP)に拡大され、ボディはスチール製に変更され、最高速は250km/hでした。1966年から1968年までに約220台が生産されました。後継車はイスレロでした。
ミニカーは1968年に発売されたポリトーイ初期のMシリーズです。全体的な雰囲気やきれいな塗装など、当時としては出色の素晴らしい出来ばえでした。当時のポリトーイのミニカーの魅力はエンジンやサスペンションなどのメカ部分をリアルに再現していたことで、これは現在のミニカーが忘れている自動車の本質的な部分のリアリティの追求だと思います。個人的にはワイパーやミラーをリアルに再現することよりもはるかに意味があると思います。この350GTもボンネットを開くとリアルに再現されたV型12気筒エンジンが見えます。(実車画像→ ランボルギーニ 350GT エンジン) 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マセラティ ミストラル イタリア 1964年
1959年にマセラティ 3500GTにV型8気筒5L(340HP)エンジンを搭載した5000GTが登場しました。5000GTの最初の車はカロッツェリア ツーリングが架装したイラン国王用の特注仕様車で「Shah of Persia(ペルシャの国王)」と呼ばれました。その後1966年までに、ツーリングやベルトーネなどのカロッツェリアが特注ボディを架装した5000GTが約30台ほど生産されました。(実車画像→ マセラティ 5000GT Shah of Persia 1959)
3500GTの後継車として1962年に2+2シーターのセブリング、1963年に2シーター クーペのミストラルが登場しました。基本設計はどちらも3500GT スパイダーと同じで、ミストラルはホイールベースが100mm短くなっていました。当初のエンジンはDOHC 6気筒3.5L(235HP)でしたが、すぐに6気筒3.7L(245HP)に代わり、5段変速で最高速245km/hの性能でした。1966年には6気筒4L(265HP)エンジンが追加されました。ミストラルには少数ですがカロッツェリア フルアがデザインしたオープン仕様のスパイダーもありました。1970年まで生産され、総生産台数はミストラルが約1000台、セブリングは約600台でした。(実車画像→ マセラティ セブリング)
ミニカーは1965年に発売されたソリド製の当時物です。1960年代のミニカーなので、バンパー、グリル、ホイールがまだ金属で作られているレトロな作風ですが、実車の雰囲気が良く再現されていて当時のミニカーとしてかなり良い出来ばえでした。ボンネット/ドアが開閉するギミック付きで、エンジンも金属製パーツで再現されています。これ以外のミストラルの当時物ミニカーはメーベトイ、ジク(SIKU)、ポリトーイ初期のプラスチック製とPENNYシリーズの1/66がありました。当時物以外ではミニチャンプスの1/43と1/18、イクソなどがあります。セブリングのミニカーはポリトーイの当時物、ネオ(レジン製)などがあります。5000GTのミニカーはミニチャンプス、ネオ(レジン製)、KESS MODEL(レジン製)などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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