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アウト アビオ コストルツィオーネ (フェラーリ) 815 イタリア 1940年
アルファ ロメオ社のレーシングドライバーであったエンツォ フェラーリが、レース活動を行うためにスクーデリア フェラーリ社を1929年に設立しました。エンツォはアルファ ロメオのワークスチームのマネージャーを務めていましたが、1939年にその職を退きました。エンツォはスクーデリア フェラーリ社をアウト アビオ コストルツィオーネ社(自動車と航空機の製造会社という意味)に改名し工作機械などの製造を始めました。
退社時のアルファ ロメオとの約束で、数年間は自身の名前を冠したレーシングカーを製造できないことになっていましたが、エンツォは密かにレーシングカー 815を開発しました。この車が事実上の最初のフェラーリでしたが、正式の車名は上記の約束からアウト アビオ コストルツィオーネということになっていました。この車はフィアット 508C バリッラをベースにした車で、8気筒1.5L(72HP)エンジンを搭載していたので815という名前でした。最高速は170km/hと高性能で、2台製造されて1940年のミッレ ミリアに出場しましたが、リタイヤしています。エンツォは第2次大戦後の1947年にフェラーリ社を創立し、再びスクーデリア フェラーリの名前でレースに参戦しました。なおこの車は戦前の車ですが、フェラーリ社の歴史を説明する都合上この戦後期に記載しています。
ミニカーは1982年に発売された初期のブルム製です。1980年代の初期のブルムのミニカーは当時としては良い出来ばえでした。このアウト アビオはフロント周りの造形に今ひとつの感じもありますが、実車の雰囲気はそれなりに再現されています。特徴的なヘッドライトのカバーの形状は、本来はもう少し六角形に近い形状をしています。アウト アビオの量産ミニカーは最近までこのブルム製しかなかったので、その点では貴重なミニカーでした。1996年にトップモデル(レジン製)でモデル化され、2008年にイクソが出来の良いアウト アビオをモデル化し、それをベースにしてミニカー付雑誌の「フェラーリ コレクション」でもモデル化されました。レジン製ではルックスマートやテクノモデルでもモデル化されています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アルファ ロメオ 6C 2500 フレッチア ドーロ イタリア 1947年
アルファ ロメオは第2次大戦中には軍需品の生産に従事し、戦火でほとんどの工場を失いました。戦後の1946年には6C 2500 戦前型の再生産が始まり、1948年に社名をS.A. ALFA ROMEO.からALFA ROMEO S.P.Aに改めました。なおアルファ ロメオは1930年代に国有公社化されましたが、その体制は1986年にフィアット傘下となるまで続きました。1947年には6C 2500を改良したフレッチア ドーロ(FRECCIA D'ORO:金の矢の意)が登場しました。フレッチア ドーロは戦前型よりホイールベースが長く、フラッシュサーフェースを採用した戦後型デザインのボディを剛性を向上させる為にフレームに溶接していました。
このフレッチア ドーロ以外にもピニンファリーナやトゥリングなどのカロッツェリアが華麗なボディを架装した6C 2500 スポルト/ツーリスモなどが1952年まで生産されました。戦前のアルファ ロメオは少量生産の高性能高級車メーカーでしたが、戦後の6C 2500はその路線の最後を飾る高級車となりました。その後アルファ ロメオは時代の変化に対応し、高性能なツーリングカーを量産して比較的低価格で提供するといった新路線に転換しました。
ミニカーは2004年に発売されたミニチャンプス製です。実車が全長4.9mほどの大柄な車ですので、ミニカーも全長114㎜と結構でかいです。トゥリング製の豪奢なボディを渋い濃紺のカラーリングでうまく再現していました。この6C 2500から続いているアルファの象徴である細い盾型のフロントグリル、ワイヤースポークホイール、内装などの細部もミニチャンプスらしいリアルな仕上げで、とても良くできていました。これ以外のフレッチア ドーロのミニカーは、ウエスタンモデル(ホワイトメタル製)、JOLLY MODEL(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ 125S #10 ミッレ ミリア イタリア 1947年
前述したアウト アビオ コストルツィオーネ社は第2次大戦後にレーシングカーの開発を再開しました。エンツォ フェラーリはアルファ ロメオ在籍時の同僚であったジョアッキーノ コロンボの協力を得て、高性能なV型12気筒エンジンを開発しました。エンツォ フェラーリは1947年にフェラーリ社を創立し、同年にフェラーリの名前を冠した最初のモデルである125Sが登場しました。125Sは新開発したV型12気筒1.5L(100HP)エンジンを搭載し、5段変速で最高速は170km/hの性能でした。名前の125は1気筒あたりの排気量が125ccであることを表しています。フェラーリは第1号車から高性能な12気筒エンジンを使っていたのです。(しかも1.5Lで12気筒です!)
125Sにはロードカー仕様の125GTも計画されましたが、実現しませんでした。エンジンをスーパーチャージャーで過給して230HPにチューンした、フェラーリ初のF1マシン 125 F1が1948年に登場しました。 (実車画像→ フェラーリ 125 F1) 125 F1と同時期に活躍したアルファ ロメオ 158もジョアッキーノ コロンボの設計でしたので、とても良く似ていました。 125Sは3台生産され、パルマ サーキットなどイタリア国内のレースで活躍しました。125Sはレースに使用された後、後継車の159S、166のベースとして再利用されました。
ミニカーは1989年に発売されたブルム製です。1947年のミッレ ミリアの出場車(レース結果はリタイア)をモデル化しています。独特のフロントの顔つきがそこそこうまく再現されているなど、当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。インパネのメーター類も当時のミニカーとしてはリアルな仕上げでした。ブルムはバリエーションで125Sのデビュー戦のピアチェンツァ サーキット仕様など4種類をモデル化しています。これ以外の125Sのミニカーは、アートモデル、イクソ、マテルの1/18などがあります。125 F1はイクソがモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。リアの画像を見ると、この当時のレースカーのテールライトは丸形1灯式だったようです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 1100B イタリア 1948年
1937年に登場したフィアット 508Cは1939年にフロントグリルがアメリカ車風に変えられ名前が1100となりました。1100は戦後の1948年に1100Bとなり、1949年にはトランクが追加されるなどして1100Eとなりました。1100Eはエンジンが少しだけパワーアップしていましたが、ボディはリアにトランクが追加されただけで、見た目はほとんど同じでした。1100シリーズのボディ形式は2ドア/4ドアセダンとコンバーチブル、2ドアクーペ/スパイダー、ロングホイールベースのバリアント、商用バンなどなんでもありでした。508Cから始まった1100シリーズは1953年に新型の1100が登場するまで、外観は変更されましたが、中身はほぼ同じまま生産されました。
以下は1940-1950年代のフィアットの車種構成です。(Wikipediaなどを参照して作成しました)
前述した小型車500の上級車として1100シリーズがあり、その上には戦前に登場した1500の戦後型1500Eと1950年に登場した1400がありました。
ミニカーは1984年に発売されたブルム製です。1948年式の1100Bをモデル化しています。ブルムは前述したように戦前の508C(1100)をモデル化していますので、これはその型を流用したバリエーションでフロントグリルの造形が変更されています。地味な実用車のミニカーですが、実車の雰囲気が良く再現されていて、当時のミニカーとしては良く出来ていました。ブルムはボディにトランクが追加された1100Eもモデル化していて、1100Eの商用車のバリエーションもたくさんあります。これ以外の1100シリーズのミニカーはスターラインがスポーツ仕様の2ドアクーペ 1100Sをモデル化しています。自動車の歴史を作ってきたのは派手な高級車だけではなくこのような地味な大衆車でもあるのです。したがって自動車の歴史を知るためにはこの類の実用車を知ることにも大きな意味があります。そのような観点から地味な実用車をミニカーにしてくれるブルムのようなブランドはありがたい存在なのです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ 166 MM イタリア 1948年
前述した125Sはレースの成績が振るわない為、排気量を1.9Lに拡大し125HPにパワーアップした159Sとなりました。さらに1948年には排気量を2Lに拡大し140HPにパワーアップした166Sに切り替わりました。166Sは1948年のミッレ ミリア、タルガ フロリオで総合優勝し、1949年のルマンで総合優勝するなどレースで大活躍して、フェラーリの名前を知らしめました。なお1948年のミッレ ミリアで優勝したことを記念して、166Sはミッレ ミリアのイニシャルを付与した166 MMに改名されました。
1947年にロードカー仕様の166 SC(スパイダー コルサ)が登場し、125F1に166 SCの2Lエンジンを搭載した125 F1/166も設定されました。1948年にロードカー用のシャーシが初めて生産され、166 インテル(INTER)として設定されました。166 インテルはトゥーリング、ヴィニャーレなどのカロッツェリアがクーペやカブリオレなどの華麗なボディを架装しました。166 インテルは約40台ほどが生産されました。これらの富裕層向けの車もフェラーリの名声を高めました。
ミニカーは1994年に発売されたイタリアのM4社のブランドのアートモデル製です。166 MMのトゥーリング製バルケッタ(オープンカー)をモデル化しています。微妙なボリュームがある曲面的なボディがうまく再現されていて実に良い出来ばえです。フロントグリルやインパネのメータ類などの細部も良く再現されています。またワイヤスポークホイールの出来が良いのでミニカーの雰囲気が引き締まって見えます。これ以外の166のミニカーは、アートモデル(約40種類)、イクソ、マテルの1/18と1/43、最近のレジン製ではトップモデル、ルックスマートなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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