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ブガッティ T57G ルマン 優勝車 フランス 1937年
1923年のフランス GPに参戦するために開発されたレースーカー ブガッティ T32は、その独特のボディ形状からタンク(水槽)という名前が付けられていました。その後の1937年のルマンで優勝したブガッティ T57Gも同じタンクという通称で呼ばれました。T32 タンクは正面から見ると正方形の角ばったボディでしたが、T57 タンクはボディ全体が流線型になっていていました。T57 タンクは前述したブガッティ T57のレーシングカー仕様でしたので、馬蹄形のフロントグリルとライトの位置にT57のイメージを残していました。T57のDOHC 8気筒3.3Lエンジンを200HPにパワーアップして搭載していました。
1939年にもスーパーチャージャー付きのT57Cをベースにした車がルマンで優勝しています。そのT57Cのテスト中に創業者エットーレ ブガッティの長男ジャンが事故死してしまいました。その為その後のブガッティ社内には過去の設計に拘るエットーレに進言できる人がいなくなりました。その直後に第2次世界大戦が勃発し、ブガッティのような高級車は生産できなくなり、軍用の航空機部品生産を行うようになりました。戦後の1947年にエットーレは病死しました。
ミニカーは2003年に発売されたイクソ製のルマン参戦車シリーズの1台です。1937年ルマンに出場してリタイアしたブガッティ T57G #1をモデル化しています。プロポーションが良く、フロントグリルの奥に配置された補助ライト、メッシュ金具で保護されたヘッドライト、右側側面の赤いランプ、細かい細工のワイヤーホイールなど細かい部分もよく作り込まれています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ブガッティ T57S アタランテ フランス 1939年
ブガッティ T57は1934年に発表された3Lクラスのツーリングカーで1940年までに約700台が生産され、ブガッティとして最もたくさん生産されたモデルでした。主に4ドアセダンや2ドアクーペのボディが架装されました。エンジンはレーシングカー T59で使われたDOHC 直列8気筒3.3L(135HP)を搭載していました。エンジンを170HPにパワーアップしホイールベースを短縮したスポーツ仕様のT57S、さらにスーパーチャージャーを追加して195HPにパワーアップしたT57SCがありました。
ブガッティ T57のボディはソーチック、ガングロフ、フィゴーニ&ファラスキーなどの著名なコーチビルダーが架装していました。それぞれ以下のようなヨーロッパの地名などにちなんだ名前が付けられていました。
ミニカーは1979年頃に発売されたソリド製です。同じものが1980年に型番4088でも発売されました。ソリドの型番40**はクラシックカーのシリーズで、クラシックカーのミニカーとしては比較的安価(当時の定価約2000円)ながらも出来の良い物が揃っていました。このT57S アタランテも細部の仕上げは値段相応ですが、独特のスタイルがうまく再現されていて良く出来ていました。型番4109でオープントップ仕様のバリエーションがありました。これ以外のアタランテの量産ミニカーは2000年以前にはフランクリン ミントの1/24ぐらいしかありませんでしたが、最近になってミニチャンプスやスパーク(レジン製)などからも発売されました。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ブガッティ T101 ガングロフ フランス 1951年
ブガッティの創始者エットーレ ブガッティの長男ジャンが1939年にレースカーのT57G タンクのテスト中の事故で他界しました。ジャンの死の直後に第2次世界大戦が勃発しブガッティのような高級車は生産できなくなり、ブガッティは軍需用の航空機部品の生産を行いましたが、工場は戦争で破壊されました。エットーレは戦後の混乱のなかで1947年に病死しました。その後もう一人の息子ローランが事業を統括することとなりましたが、ローランは父親のような優れた才能には恵まれていませんでした。
1951年に新型車としてT101が登場しました。T101は戦前の傑作車T57のシャーシをベースにして開発された車で、内容的にはT57に新しいボディを載せただけの車だったようです。そのような車でしたのでT101はたったの9台しか生産されませんでした。T57と同じDOHC 直列8気筒 3.3L(135HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速160km/hの性能でした。コーチビルダーのガングロフ(GANGLOFF)などが4/2ドアセダン、クーペ、カブリオレなどのボディを架装しました。戦後のブガッティ社は主に航空機用エンジンを生産していましたが、1963年に同業のイスパノ スイザ社に吸収されました。1987年にイタリアの実業家がブガッティの商標を入手しブガッティ アウトモビリ社を設立し、1991年にブガッティ EB110が登場しましたが、1995年に倒産しました。
ミニカーは2013年に発売されたイクソ製です。実車はシャーシNo.57454にコーチビルダー ガングロフが2ドアクーペ ボディを架装したもので、1951年のパリ サロンで公開されました。2ドアながら全長5.2mの大柄な車で、実車はフランス国立自動車博物館(シュルンプ コレクション)に展示されていました。このミニカーは元々はフランスのミニカー付雑誌「Voitures Francaises d'Autrefois」シリーズのNo.5として作られたミニカーで、それをリファインしてイクソのカタログモデルとしたものです。実車と見比べると、ボディカラーからAピラー近くの小さなアンテナ(ラジオ用)まで忠実にモデル化されていました。フロントグリル上のブガッティの赤いエンブレム、クロームモール類、精緻なエッチング材を使ったスポークホイールとワイパーなどの細部も良く仕上げられています。T101はブガッティとしてあまり知られておらず、量産ミニカーとしてはこれが初めてのモデル化でした。これ以外のT101のミニカーはマトリックス(レジン製)があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ブガッティ EB110GT フランス 1991年
第2次大戦後のブガッティ社は主に航空機用エンジンを生産していましたが、1963年に同業のイスパノ スイザ社に吸収されました。その後1968年にフランスの航空機エンジンメーカーのスネクマ(Snecma)社がイスパノ スイザとブガッティの経営権を取得し、1977年にスネクマ社は航空機の着陸装置(ホイール/ブレーキシステム)を開発製造するメッサー ブガッティ(Messier-Bugatti)社を設立しました。現在メッサー ブガッティ社は航空機の着陸装置のメーカであるサフラン ランディング システムズ(Safran Landing Systems)社として存続しています。
1987年にイタリアの実業家がブガッティの商標権を入手しブガッティ アウトモビリ(Bugatti Automobili SpA)社が設立され、1991年にブガッティ EB110GTが登場しました。EB110GTはランボルギーニ カウンタックのようなシザーズドアをもつ当時のスーパーカー流行りのデザインでした。V型12気筒3.5Lターボ(560HP)エンジンを縦置きミドシップ搭載する全輪駆動車で、6段変速で最高速342km/hと極めて高性能でした。なおEB110とはエットーレ ブガッティの誕生110年を意味していました。1992年に車体を軽量化しエンジンを611HPにパワーアップしたEB110SS(最高速355km/h)が追加されました。ブガッティ アウトモビリ社は過剰投資から経営が破綻し1995年に倒産したので、EB110は150台ほどが生産されただけでした。その後同社の技術者はパガーニ アウトモビリ社を設立し、1999年にパガーニ ゾンダを開発しました。(実車画像→ パガーニ ゾンダ)
1998年にフォルクスワーゲン社がブガッティ アウトモビリ社からブガッティの商標権を買い取り、ブガッティ オートモビル(Bugatti Automobiles SAS)社をフランスに設立しました。1999年にコンセプトカーのEB18.3 シロンとEB18.4 ヴェイロンが発表され、2005年に市販車のヴェイロンが登場しました。
ミニカーは1993年に発売されたレベル製です。レベルはプラモデルの老舗メーカーで、これはプラスチック製でプラモデルの完成品のようなミニカーです。プラモデルの老舗メーカーが作っていましたので、プロポーションは正確で実車が実にうまく再現されていました。フロントフード/ドア/リアパネルが開閉するギミック付きで、室内のインパネは細部まで良く再現されています。ただ可動部のヒンジもプラスチック製で機械的強度が不足しているので、注意して触らないと簡単に破損します。(これも左側ドアのヒンジが壊れ、右側ドアミラーも取付け部が折損して行方不明です) プラスチック製ミニカーで機械的強度が必要な部分にプラスチックを使うのは好ましくありません。また塗装していないプラスチック製のボディは、見た目があまり良くないです。レベルはバリエーションで、EB110SSもモデル化していました。これ以外のEB110のミニカーはミニチャンプス、オートアートの1/18、Bブラーゴの1/18と1/24などがあります。 以下はフロント/フロントフード開閉の画像とリア/リアパネルを開いたエンジンルームの画像です。V型12気筒エンジンには「BUGATTI」の青いロゴが付いています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ブガッティ EB16.4 ヴェイロン フランス 2001年
1998年にフォルクスワーゲン社がブガッティ アウトモビリ社からブガッティの商標権を買い取り、ブガッティ オートモビル(Bugatti Automobiles SAS)社をフランスに設立しました。1999年にコンセプトカーのEB18.3 シロンとEB18.4 ヴェイロンが発表されました。EB18.4 ヴェイロンという名前は1930年代のブガッティのレーシングドライバーであったピエール ヴェイロン(Pierre Veyron)に由来し、18.4とは4つのターボチャージャー付の18気筒エンジンを意味していました。市販化の開発は高速走行時の空力特性やエンジン排熱の問題で難航しましたが、W型16気筒8Lエンジンを搭載したヴェイロン 16.4が2005年に市販化され、300台が限定生産されました。
ヴェイロン 16.4のエンジンはフォルクスワーゲン製のV型8気筒エンジンを2個連結したW型16気筒8Lエンジンで、4つのターボチャージャー過給で1001HPを出力しました。4輪駆動方式で100km/hまで2.5秒で加速し公称最高速は407km/h、当時世界最速の市販車でした。派生車として2009年にタルガトップ仕様のヴェイロン 16.4 グランスポーツ、2011年にエンジンを1200HPにパワーアップしたヴェイロン 16.4 スーパースポーツ(最高速431.072km/h ギネス公認記録)などが追加で限定生産されました。2016年に後継車のシロンが登場しました。(実車画像→ ブガッティ シロン 2016)
ミニカーは2004年頃に発売されたオートアート製です。2001年のフランクフルト モーターショーで発表されたコンセプトカー EB16.4 ヴェイロンをモデル化していますので、市販車とは細部の違いがあるのかもしれませんが詳細は分かりません。オートアートらしい正確なプロポーションで、室内などの細部までリアルでかなり良く出来ていました。オートアートは市販仕様もモデル化していて、ヴェイロンを1/18と1/43と1/64で20種類以上モデル化しています。これ以外のヴェイロンのミニカーはミニチャンプスがグランスポーツやスーパースポーツなど1/43と1/18で20種類以上、シュコーの1/87、ルックスマート(レジン製)が20種類ほどモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。 (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)