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ルノー 14CV (タイプ X) フランス 1907年
1906年頃のルノーは6種類のモデルを揃えていました。それは2気筒1L/1.2Lエンジンのタイプ AX/AG、4気筒2.1Lエンジンのタイプ AM、4気筒3.1Lエンジンのタイプ X-1、4気筒4.4Lエンジンのタイプ V-1、4気筒7.4Lエンジンのタイプ AI、6気筒9.5Lエンジンのタイプ ARと小型車から大型車までそろっていました。(参照資料→ The Renault range from 1908)
このルノー 14CVは上記モデルレンジの上から4番目のタイプ Xで、4気筒3.1Lエンジンを搭載していました。4番目といっても当時としてはかなりの高級車で、特にこのミニカーの実車はフランス政府の公用車でダブル ベルリン形式と呼ばれる長距離旅行用の立派なボディが架装されていました。ベルリンとは箱型大型馬車の形式でそれが前後に二つ連結されている形なのでダブル ベルリンと呼ぶそうです。屋根には旅行用の荷物を積むルーフラックが付いています。タイプ Xは1909年に後継車のタイプ BXにモデルチェンジしました。(実車画像→ ルノー タイプ BX)
ミニカーは1970年代に発売されたリオの初期モデルです。この当時のリオはクラシックカー専門のマニア向けブランドでした。(リオは1990年代になるとクラシックカー以外も手掛けるようになりましたが) リオのクラシックカーは細かい部品まで良く再現された手の込んだ造りで、当時のミニカーとしては最高の出来ばえでした。この14CVも金メッキされた特徴的なラジエータ、ヘッドライトなどの灯火類、キャビン窓枠、ルーフ上のルーフラックなどリアルな仕上げで、カラーリングも綺麗です。1900-1920年代のクラシックカーのミニカーは最近ほとんど作られないので、その点で貴重なミニカーでもあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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パナール ルヴァッソール タイプ X ’LA MARQUISE’ フランス 1908年
1904年にパナールは1000台以上の車を販売しており、当時世界最大の自動車メーカーになっていました。この頃には先進的であったエンジン/ギヤボックス/後輪ドライブを一列配置する「システム パナール」も他の会社が同様の方式を採用したことで優位性を失っていました。1901年にドイツのメルセデスから4気筒6.6L(40HP)エンジンを搭載する高性能高級車ジンプレックスが登場し、パナール ルヴァッソールはこのメルセデスを模倣したような高級車を製作するようになりました。
パナールは1911年にアメリカ人のチャールズ ナイトが考案したスリーブバルブ エンジンを搭載するようになりました。スリーブバルブ エンジンとはシリンダ側面に吸排気ポートを設けそれをシリンダーを囲むスリーブと呼ぶ筒で開閉する構造のエンジンです。低効率ながらバルブ作動音が小さく静粛性に優れていたので、1920年代頃まで高級車に使われました。パナールはこのエンジンを1930年代まで主力エンジンとして搭載し続けました。またこのエンジンの高性能化にも注力し、1925年にはこのエンジン(4気筒4.8L)を搭載したレースカーで平均速度185.51km/hの国際速度記録を達成しました。
ミニカーは1960年代に発売されたフランスのラミー製です。1908年式のパナール ルヴァッソール タイプ Xをモデル化しています。この車は4気筒3.3Lエンジンを搭載したシェーファードリブンの高級車だったようです。名前の「LA MARQUISE(ラ マルキーズ )」とはフランス語で「候爵夫人」という意味でこの車の愛称だと思いますが、他の意味があるのかもしれません。ラミーのミニカーは現在の感覚では簡素な出来ばえですが、1960年代当時としては本格的なクラシックカーのミニカーでカラフルなカラーリングが特徴でした。このパナールも当時のミニカーとしてはそこそこ実車に忠実な造形で、薄紫/オレンジの色使いが洒落ていました。(実車は地味なカラーリングですが、ミニカーはこんな具合にカラフルに仕上げてありました) なお50年前に製作されたものですので、フロントグリルなど金属パーツが少々錆びています。 屋根の上の丸い物はスペアタイヤの置き場所で、丸い蓋をとるとちゃんとスペアタイヤが入っています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ユニック タクシー (12/14HP) フランス 1908年
自転車製造業者であったフランス人のジョルジョ リシャール(Georges Richard)は、技術者アンリ ブラジエ(Henri Brasier)と共同でリシャール-ブラジエという名前の自動車会社を1902年に設立しました。同社の車は1905年に開催された自動車黎明期の自動車レース ゴードン ベネット カップで優勝しました。その後リシャールは同社を離れ、1905年にユニックという名前の自動車の製造を始めました。ユニックの一号車は2気筒1.8Lエンジンを搭載した小型車で、翌年には4気筒車も加わりましたが、いずれも保守的で地味な車で頑丈さが取り柄といった車だったようです。
当時のユニック車は本国フランスでは人気がありませんでしたが、イギリスではタクシー用として重宝され1930年代まで使われました。第1次大戦後の1924年に4気筒2Lエンジン搭載の11CV、4気筒3.5Lエンジン搭載の16CVなどの乗用車を発表しましたが、世界恐慌で販売不振に陥り1939年に乗用車市場から撤退しトラックメーカに転向しました。第2次大戦後の1951年にシムカ傘下となりその後1960年代にフィアット傘下でユニック フィアットになりました。その後1970年代にイベコ(IVECO イヴェコ) ユニックとなり現在のイベコにユニックの名前は残っていません。
ミニカーは1960年-1970年代に発売されたフランスのクラシックカー専門メーカーのサフィール(SAFIR)製です。ユニック初期のタクシー (12/14HP)をモデル化しています。サフィールのクラシックカーは当時のミニカーとしてはスケールモデル的なリアルな作風で、細かいところまで良く再現され、かなり良い出来ばえでした。このユニック タクシーも実車がうまく再現されていて、灯火類や操作レバーなどの細部もメッキパーツでリアルに再現されています。このタクシーには当時最新であったタクシーメーターが付いていました。客室左側ドアの手前上に付いている黒い箱がタクシーメーターで、車軸の回転数から走行距離を機械的に算出して移動距離(又は料金)を表示する構造で、現在の自動車で走行距離を表示するオドメーターのようなものだったようです。これ以外のユニックのミニカーはマッチボックスの同時代のタクシーがありますが、それ以外のほぼすべてが第2次大戦後のトラックなどの商用車です。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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プジョー (リオン プジョー) タイプ VC2 ダブル フェートン フランス 1908年
ベテラン期のプジョーで記載したように、当時のプジョーにはアルマン プジョーが「LES FILS DE PEUGEOT FRERES(プジョー兄弟の息子達)」社から独立して設立した「AUTOMOBILES PEUGEOT(オートモビル プジョー)」社が作るプジョー車と、元の兄弟の会社が1906年から作り始めたリオン プジョー車(LION-PEUGEOT)の2つがありました。1910年には両社は合併してひとつになりましたが、すぐに車を統一したわけではなく第1次大戦までは独自設計の車作りをしていました。(リオン プジョーは単気筒/2気筒エンジン搭載の小型車がメインでした) 現在のプジョーのロゴはリオン(ライオン)ですが、それはこの当時からの継承です。
1906年に登場した最初のリオン プジョーは単気筒785cc(6.5HP)エンジンを搭載した小型車(全長約2.8m)のタイプ VAでした。(実車画像→リオン プジョー タイプ VA) サイズを少し大きくしてエンジンを1045cc(8.5HP)に拡大したタイプ VCもほぼ同時期に登場しました。タイプ VCはVC1を経て1909年にVC2に発展しました。タイプ VC2はホイールベースを伸ばして全長3.3mまで大きくなり、4人乗り用のスペースが確保されました。VC2にはフェートン、ランドレー、リムジン、商用バンなどのボディが架装され、約1200台が1910年までに生産されました。(この生産台数は当時としてはベストセラーでした) その後1916年まで存続したリオン プジョーは2気筒1.3L-1.7Lエンジンを搭載したV2シリーズや4気筒1.8L-1.9Lエンジンを搭載したV4シリーズを登場させました。
ミニカーは1960年-1970年代に発売されたフランスのクラシックカー専門のラミー製です。ラミーは自動車創世記のクラシックカーを多くモデル化していて、ラミーしかモデル化していない車種も多いです。このリオン プジョーもラミーしかモデル化していません。実車画像と見較べてみると、フロントグリルの形状などそこそこリアルで、実車の雰囲気がうまく再現されています。なおミニカーでは再現されていませんが、実車のフロントグリルの上部にはライオンのエンブレムが付いていて、それがリオン プジョーを示す特徴でした。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ブラジエ クーペ フランス 1908年
1890年代にジョルジュ リシャール(Georges Richard)と彼の兄弟は自転車会社を興していました。彼らは1897年に Societe des Anciens Etablissements Georges Richard(ジョルジュ リシャール事業協会?)を設立し、ドイツのベンツ ビクトリアを真似て自動車製造を始めました。最初の自動車は水冷単気筒708cc(3.5HP)エンジンを搭載した2人乗りの小型車でした。1901年にエンジニアのアンリ ブラジエ(Charles-Henri Brasier)がパートナーとして加わり、社名がリシャール ブラジエ自動車となりました。
1904年にリシャールはブラジエとの関係を悪化させて会社を去りましたので、リシャール ブラジエ自動車は1905年にブラジエ自動車に改名されました。リシャール ブラジエのレースカーは1904年と1905年のゴードン ベネット レースで連続優勝していますので、高性能だったようです。その後もブラジエ自動車は2気筒/4気筒/6気筒エンジン搭載車を発売していましたが、1930年にドライエに買収されて消えました。なお退社したリシャールはアンリ ド ロスチャイルド(Henri de Rothschild)男爵の経済的援助を得て、1905年にユニック(UNIC)自動車を創立して小型車とタクシーを製造しました。現在ユニックは商用車メーカー イベコの傘下となっています。
ミニカーは1960年代に発売されたラミー(R.A.M.I.)製です。ミニカーには表示されていませんが、2気筒エンジンを搭載したブラジエ タイプ VL クーペをモデル化しているようです。博物館に保管されていた実車の画像をWEB上で見つけましたが、その実車を当時の技術で忠実に再現しています。(参照画像→ ブラジエ クーペ 1908) なおミニカーの底板には車名がBRAZIERと表示されていますが、正しい綴りはBRASIERなので、今回(2022年4月)当サイト内の関連する記載を修正しました。ラミーとしては後期の物で、両肩に段が付いた特徴のあるフロントグリルとヘッドライトや操作レバーにメッキしたプラスチック製パーツが使われ、当時のミニカーとしては良く出来ていました。またカラーリングも実車に即したカラーリングとなっていました。ブラジエのミニカーはこれしか無いようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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