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タルボ (ラーゴ) T23 フランス 1936年
タルボ パシフィックの解説に記載したように、タルボの親会社STD(SUNBEAM TALBOT DARRACQ)モーター社は財政難から1935年にイギリスのルーツグループに吸収されました。1938年に「サンビーム-タルボ」ブランドができましたが第2次大戦後に消滅しました。タルボのフランス工場は起業家のアンソニー ラーゴ(Anthony Lago)が買い取り、後に「タルボ-ラーゴ」ブランドの車を製造しました。
1930年代のタルボの代表的なモデルであったT23が1936年に登場しました 当時のフランスの高級車らしい優雅なデザインの高級車でした。クーペ、カブリオレ、セダン、リムジンがあり、コーチビルダーのフィゴーニ-ファラスキーやソーチックがボディを架装していました。当初のエンジンは6気筒3L(90HP)で、後に6気筒4L(115HP)が搭載され、4段変速で最高速150km/h(4L)の性能でした。なおT23は前述したタルボ パシフィックの発展型らしいので、タルボ ラーゴではなくタルボとしました。1937年に新設計のモデルが登場しそのモデル(タルボ-ラーゴ T120/150など)からはタルボ ラーゴと呼ぶようです。
ミニカーは1981年に発売されたソリド製です。フィゴーニ-ファラスキーが架装した?と思われる2?ドアカブリオレをモデル化しています。ソリドの型番4000番台は1980年代に作られたクラシックカーのシリーズで、比較的安価で良く出来ていました。このタルボ T23も当時の定価が2000円ほどと安価でしたのであまり凝ったところはありませんが、実車の雰囲気がうまく再現されていて値段相応の良い出来ばえでした。後ろヒンジでドアが開閉するギミック付きです。ソリドは別ブランドのべレムで、2ドアセダンもモデル化していました。これ以外のタルボ T23の量産ミニカーはないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ブガッティ T57G ルマン 優勝車 フランス 1937年
1923年のフランス GPに参戦するために開発されたレースーカー ブガッティ T32は、その独特のボディ形状からタンク(水槽)という名前が付けられていました。その後の1937年のルマンで優勝したブガッティ T57Gも同じタンクという通称で呼ばれました。T32 タンクは正面から見ると正方形の角ばったボディでしたが、T57 タンクはボディ全体が流線型になっていていました。T57 タンクは前述したブガッティ T57のレーシングカー仕様でしたので、馬蹄形のフロントグリルとライトの位置にT57のイメージを残していました。T57のDOHC 8気筒3.3Lエンジンを200HPにパワーアップして搭載していました。
1939年にもスーパーチャージャー付きのT57Cをベースにした車がルマンで優勝しています。そのT57Cのテスト中に創業者エットーレ ブガッティの長男ジャンが事故死してしまいました。その為その後のブガッティ社内には過去の設計に拘るエットーレに進言できる人がいなくなりました。その直後に第2次世界大戦が勃発し、ブガッティのような高級車は生産できなくなり、軍用の航空機部品生産を行うようになりました。戦後の1947年にエットーレは病死しました。
ミニカーは2003年に発売されたイクソ製のルマン参戦車シリーズの1台です。1937年ルマンに出場してリタイアしたブガッティ T57G #1をモデル化しています。プロポーションが良く、フロントグリルの奥に配置された補助ライト、メッシュ金具で保護されたヘッドライト、右側側面の赤いランプ、細かい細工のワイヤーホイールなど細かい部分もよく作り込まれています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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プジョー 302 ダールマ ロードスター フランス 1937年
ダールマはパリの有力なプジョー販売店のオーナー エミール ダールマ (Emile Darl'mat)の発案で製作されたプジョーをベースにした少量生産のスポーツカーでした。当初はダールマの工場で製作されたようですが、1936年頃からはプジョーの工場で製作されました。代表的なモデルはプジョー 302のシャーシに70HPにチューンした402の4気筒2Lエンジンを搭載した302 ダールマで、コーチビルダーのプルート(POURTOUT)がクーペやカブリオレのボディを架装していました。1938年にはプジョー 402のシャーシを使った402 ダールマも登場しました。
プジョー 302 ダールマのレース仕様車は1937年ルマンに出場し総合7、8、10位でクラス準優勝し、1938年ルマンでは総合5位でクラス優勝しました。このレース仕様のダールマはそのボンネットサイドの見た目から「八目鰻」とあだ名されました。この連続する丸い穴は模様ではなくエンジンの熱気抜き用の通気穴でしたが、フランス流のセンスでうまいアクセントになっています。戦後の1947年にプジョー 202をベースにした202 ダールマが1.1Lクラスの速度記録を達成し、1953年にプジョー 203をベースにした203 ダールマが少量生産されました。
ミニカーは2006年頃に発売されたフランスのミニカー付雑誌「PEUGEOT COLLECTION」のNo.8で、メーカーはノレブです。(国内販売されなかったのでオークションで入手しました) 1937年のルマンで8位となった車(#25)をモデル化しています。実車の雰囲気がうまく再現され、フロントグリルや特徴的なボンネットサイドの通気孔など細部もそこそこリアルで、良く出来ています。ノレブはカタログモデルでは型番473201で10位となった車(#27)をモデル化していますが、それはこれより内装の仕上げが良く幌が付いています。ダールマのミニカーはノレブが1/18も含めて約10種類を発売していてほぼ独占しています。なおノレブがモデル化する以前は、エリゴール初期の402 ダールマが唯一のミニカーでした。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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パナール ルヴァッソール ディナミク 160 フランス 1937年
1936年のパリ サロンに登場したパナール ルヴァッソール ディナミクは名前どうりの革新的なダイナミックな造形で話題となりました。はやりの流線型を取り入れたボディ デザインはフェンダーの形状やフロント グリルに同時期のドライエなどと同じようなフランス流のテイストがあり、個人的に好きなデザインです。またフロントグリルの形状に合わせたライトのカバーはガラスではなくグリルで構成されていて、これはプジョー402のフロントグリル内格納ライトと同じ処理でした。前輪独立懸架や油圧ブレーキなどメカ的にも新しく、前述したパナール 6CSと同じフロントウィンドー両端に曲面ガラスを組み込んだ「パノラミク」を採用し、3人掛けフロントシートで中央にステアリング ホイールがあるなどユニークな車でした。(1939年には左ハンドルに変わりました)
エンジンはディナミク 130が6気筒2.5L、ディナミク 140が6気筒2.9L、1937年に追加されたディナミク 160は6気筒3.8L(100HP)でパナール ルヴァッソールが得意としたスリーブバルブ エンジンでした。(これが最後の量産スリーブバルブ エンジンでした) ホイールベースは長短3タイプがあり、最短(2600㎜)の2ドアクーペはすぐ廃止され、大半は2800㎜のセダンでリムジンのディナミク 160は3000mmでした。第2次大戦の為1940年に生産中止となりました。高価な車だったので、総生産台数は約2700台と希少でした。。
ミニカーは2000年頃に発売されたエリゴール製で、ロングホイールベースのセダンをモデル化しています。エリゴール製のディナミクは1980年頃に発売されていたのですが、これはエリゴール愛好者のエリゴール クラブ向けの特注品として作られた物でした。フロントグリルのエンブレムやフェンダーのモールなど通常品より丁寧な塗装仕上げとなっています。実車のユニークなボディがうまく再現され、特徴的なヘッドライトもグリルではないもののそれらしく表現されていてとても良く出来ています。実車のデザインが好きなので、個人的にお気に入りのミニカーです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ルノー ジュバカトル フランス 1938年
前述したルノー セルタカトルの後継車として、全く新しい設計の小型車ジュバカトルが1937年に登場しました。モノコック構造ボディに4気筒1L(24HP)エンジンを搭載し、前輪に独立懸架サスペンションを採用し最高速度91km/hの性能でした。ボディは4ドアセダン/2ドアクーペと2ドアバン/ワゴンがありました。ライバルのシトロエン 7CVなどに技術的に追いついたこの車は、1938年に約1万台販売されて当時のルノーとしてはかなり成功した車となりました。
第2次世界大戦の勃発でルノーは乗用車の生産を中止し、工場は連合軍の空襲で壊滅状態となりました。1945年に戦後のルノー最初のモデルとしてジュバカトルの生産が再開されました。1956年に後継車のドーフィンが登場し、ジュヴァカトルの乗用セダンは生産中止になりました。しかしリヤにエンジンを搭載するドーフィンはバン/ワゴンには不向きでしたので、ジュバカトルのバン/ワゴンはエンジンをドーフィンと共通化するなどの変更が施され1960年まで生産が継続されました。特に1956年以降のワゴンはドーフィノワーズ(DAUPHINOISE)とも呼ばれています。(実車画像→ ルノー ドーフィノワーズ 1958)
ミニカーは1980年代に発売されたエリゴール製です。フロントグリルの造形など実車の雰囲気が良く再現されていて、1980年代のミニカーとしてはとても良く出来ています。リアのトランクが開閉できるギミック付で、そこにはスペアタイヤが格納されています。エリゴール初期のミニカーは同時期のノレブのプラスチック製ミニカーをコピーした物が多いのですが、これもノレブの型番10のジュバカトルをベースにしています。トランクのギミックもノレブをそのままコピーしています。(ただしエリゴールはダイキャスト製で、ホイールなど細部を少し変えていますが) これ以外のジュバカトルのミニカーは、ユニバーサルホビーのクーペ/ブレーク、最近のノレブのバン、ソリドのバン 1/18などがあります。 以下はフロントの拡大画像とリアトランクの開閉動作の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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