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メルセデス ベンツ W154 ドイツ 1938年
1938年に新しい3Lフォーミュラ(過給3L 無過給4.5L 排気量に応じて最低重量400-850㎏)が施行され、それに対応したメルセデス ベンツ W154が開発されました。W125をベースにしてサスペンションを改良し、エンジンが小さくなった分ボディが低くなり空力的に改善されました。W125同様にW154も圧倒的に強く1938年の主要な6レースで勝利しています。1939年は戦前最後のグランプリシーズンとなり、W154はスーパーチャージャーを2ステージ化してパワーアップし、フロントグリルの形状などを変更したボディが載せられました。この1939年式のW154をW163と呼ぶこともあるようですが、これは厳密には正しくないようです。W154は1939年に5勝しています。
ドイツと同じようにムッソリーニ政権下のイタリアでもグランプリレースを国威発揚に利用していました。ドイツ勢に対抗すべくイタリアは1939年5月のトリポリ GPを自国に有利な1.5Lフォーミュラで行うことを1938年8月に決定します。これに対してメルセデス ベンツは8ヶ月ほどでW165を開発しました。W165はW154のミニチュア版で、ホイールベースが短く、V型8気筒1.5Lエンジン(278HP)を搭載していました。W165はトリポリ GPで1-2フィニッシュし、イタリアの思い通りにはなりませんでした。
ミニカーは2009年に発売されたスパーク製です。画像はスパークのWEBサイトから借用しました。1938年のトリポリ GPで優勝したW154(ドライバー H.ラング)をモデル化しています。スパークはメルセデス ベンツの特注品としてW25、W125、W154、W154(1939)、W165をモデル化していて、このW154はそれを一般市販したものです。これ以外のW154のミニカーは、かなり昔のビンテージ物のメルクリンとマーキュリー、最近のブルムなどがあります。
以下は1981年に発売されたブルム製のメルセデス ベンツ W154 1939 (1/43 型番R037)の画像です。1939年のドイツ GPで優勝したW154 #12 (ドライバー R.カラツィオラ)をモデル化しているようです。ただしミニカーの全長が88㎜程なので1/43換算で計算すると全長が3.7mとなり、W154の寸法と合いません。このサイズはW154の小型版W165の全長3.7mと一致します。ブルムは型番R037と同じ型を使った型番R037Bで1939年のトリポリ GPで優勝したW165をモデル化していますので、この型番R037はW154ではなく正しくはW165をモデル化したようです。ブルム初期のミニカーにはこんな具合に実車考証が適当なものがありました。(ただしこれが分かったのも最近のことで、それまでは全然気がつきませんでしたが) (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アウトウニオン タイプ D ドイツ 1938年
1938年にGPカー(F1)の新しい3Lフォーミュラ(排気量上限 過給3L 無過給4.5L 排気量に応じて最低重量400-850㎏)が施行され、それに対応したアウトウニオン タイプ Dが開発されました。タイプ Cをベースにしていましたが、エンジンがV型16気筒6LからV型12気筒3L(420HP)に変更されてサイズが小さくなったのでコクピットが後ろに移動して一般的なGPカーのスタイルに近くなりました。1939年にはスーパーチャージャーが2ステージ化され、485HPにパワーアップされました。
タイプ Dの主な戦歴としては1937年にチームに加入したイタリア人ドライバーのT.ヌヴォラーリがドライブしてイタリア GPとイギリス(ドニントン) GPなどで優勝しましたが、あまり芳しい成績は残せませんでした。1939年のフランス GPではドライバー H.ミュラーで優勝しました。アウトウニオンのミッドシップレイアウトは操縦性に問題が多い(運転が難しい)レイアウトでしたが、第2次世界大戦後のレーシングカー設計に多大な影響を与えました。大戦後の1947年にクーパーがF3でミッドシップレイアウトを採用し、その後1960年代になるとミッドシップがF1の標準レイアウトになりました。
ミニカーはブルム製で1984年頃に発売されました。1938年のイギリス GPの優勝車をモデル化しています。実車の雰囲気がうまく再現されていて、1980年代のミニカーとしては良く出来ていました。ただこれも前述した同じブルム製のタイプ Cと同様にデカールが経年劣化しています。ブルムは ドライバー T.ヌヴォラーリのフィギュア付でイタリア GP 優勝車もモデル化しています。これ以外のタイプ Dのミニカーは戦前のメルクリンの超レアな当時物、マーキュリーの古い当時物、ミニチャンプスのイギリス GPとイタリア GP仕様などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ホルヒ 853A スポーツ カブリオレ ドイツ 1938年
ベテラン期にベンツ社の工場長を務めていた技術者アウグスト ホルヒ(August Horch)は、1899年に独立してホルヒ社を設立し1901年から自動車製造を始めました。ホルヒ社は先進的で高品質な小型/中型車を生産していました。1909年にアウグスト ホルヒは技術/品質にこだわって出資者の経営陣と対立して自分が設立した会社を去りました。彼はホルヒという名前の別会社を設立しましたが、元のホルヒ社からクレームが付き、1910年に名前をアウディ社に変更しました。なおホルヒとはドイツ語の「聞く」という意味の「horchen」に由来し、アウディ「audi」もラテン語の「聞く」という意味だそうです。
創業者が去った当時のホルヒは4気筒2.6Lエンジンを搭載した中型車10/30などを製造していましたが、次第に高級な大型車を製造するようになりました。1926年に直列8気筒3.1Lエンジンを搭載した303が登場し、1930年には直列8気筒4L/5Lエンジンを搭載した400/500が登場しました。1933年にドイツ初のV型8気筒エンジンを搭載した830が登場し、その後1935年に850、それをベースにした853、951が登場しました。1939年には流線形ボディを採用した930が登場しましたが、第2次大戦の勃発で量産化はされませんでした。ホルヒは同じジャンルの高級車メルセデス ベンツより安かったことで好評だったようです。なおアウグスト ホルヒが設立したアウディ社も高性能な高級車を製造していて、モータースポーツで活躍していました。(実車画像→ ホルヒ 830)
1932年にホルヒ社はアウディ社、DKW社、ヴァンダラー社の民族系3社と協同でアウトウニオン社を結成しました。ホルヒはアウトウニオン社の最上級モデルを担当し、ポルシェ博士が設計したアウトウニオンのGPカー Pヴァーゲン(タイプA B C)もホルヒが製作しました。ホルヒは第2次大戦中は軍用車の生産に専念し、戦後はアウトウニオン社が解体されてホルヒの名前は消えました。
ミニカーは2003年頃に発売されたミニチャンプス製でアウディ特注品です。1937年に登場した8気筒5Lエンジンを搭載した853Aのカブリオレをモデル化しています。同じ型の一般市販品(型番436012030 赤茶色の内装)とは内装の色を変えて特注品としています。アウディ社が特注しているということはホルヒ車はアウディ社の歴史の一部といった扱いなのでしょう。ミニカーはミニチャンプスらしいそつのないとても良い出来ばえです。特に豪華な室内はかなりリアルに再現されています。またフロントグリルのアウトウニオンの4輪ロゴ、グリル上のマスコット(翼の付いた矢)、灯火類などの細部も良く再現してあります。ミニチャンプスは853Aのカラーバリエーション数種類と855 ロードスター数種類もモデル化しています。これ以外のホルヒのミニカーはメルクリンの戦前の当時物(とんでもないレア物です)、RICKOの851と930V 1/87、ブッシュの853 カブリオレ 1/87、イクソ(ホワイトボックス)の 853A カブリオレ、サンスターの855 ロードスター 1/18などがあります。 以下はフロント(フロントグリル拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォルクスワーゲン KdF ドイツ 1938年
ドイツ語の「VOLKSWAGEN」とは直訳すると「国民車」で、この名前は戦前のナチス政党が掲げた「国民車構想」に由来していました。「国民車構想」とは国民の誰もが買える安価な実用車を開発するというもので、同じような構想を抱いていたフェルディナント ポルシェ博士がその開発にあたりました。1938年に完成したプロトタイプにはKdF(Kraft durch Freude:喜びを通じて力を)という政治スローガン的な名前が付けられました。
KdFは空冷の水平対向4気筒985cc(24HP)エンジンをリアに搭載し、車両重量は685kgと軽量で最高時速100km/hの性能でした。開発目標にアウトバーンを100km/hで連続走行できることという項目があり、その為当時としては空力をかなり考慮したボディとなっていました。またそのせいで燃費は50km/h定地で17km/Lと良好でしたが、0-60km/h加速は17秒台とかなり遅いものでした。KdFにはセダン(オプションでソフトトップのサンルーフが付く)とカブリオレがありました。KdFは大量生産する前に戦争が始まったので、実際に生産された量産型(主に公用車)はごく少数でした。このKdFをベースにして戦後にビートルが登場しました。
ミニカーは1988年に発売された初期のビテス製です。KdFの最終型をモデル化しています。当時の実車画像と比べると、実車の雰囲気がうまく再現されていることが分かります。ボディ全体がくすんだカラーリングで、バンパー/ホイールがボディと同色になっているのもそれらしい感じですが、実車のバンパー/ホイールはメッキされた物もありました。インパネ中央にメーターがある室内の造形もかなりきちんと再現しています。ビテスは軍用車仕様とサンルーフ仕様もモデル化しています。これ以外のKdFのミニカーはリオのセダン/カブリオレ/軍用車仕様、ビクトリアの軍用車仕様、ブッシュの1/87などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォルクスワーゲン タイプ 82 キューベルワーゲン ドイツ 1940年
キューベルワーゲンとは第2次大戦中のドイツ軍の小型軍用車でした。独語のキューベル(KUBEL) とはバケツの意味で初期のシートがバケット(BUCKET:英語でバケツ)式だったことやボディがバケツ形状であったことから名前が付いたようです。フォルクスワーゲン タイプ 82は前述したフォルクスワーゲン KdFをベースにした軍用車でした。フォルクスワーゲン タイプ 82は生産台数が多く良く知られていたので、一般的にキューベルワーゲンといえばフォルクスワーゲン タイプ 82のことを示すことになりました。
フォルクスワーゲン タイプ 82は空冷4気筒985㏄(24HP)エンジンをリアに搭載した後輪駆動車で、駆動力を高める為に後輪のホイールハブ内に減速ギヤが内蔵されていました。さらに床下高を上げて悪路走破性を高めていましたが、4輪駆動方式ではありませんでした。派生車として4輪駆動方式を採用した水陸両用車のタイプ 166 シュビムワーゲン、KdF セダンと同じ外観のタイプ 287 指揮車などがありました。タイプ 82 キューベルワーゲンは終戦までに約52000台が生産されました。なお戦後の1969年にはタイプ 82と同じような構造のタイプ 181 キューベルワーゲン (軍用車とその民間仕様車)が登場しました。(実車画像→ フォルクスワーゲン タイプ 181)
ミニカーは2004年に発売されたシュコー(JUNIOR LINE)製です。パーツのほとんどがプラスチック製で、プラモデルの完成品といったほうが良いかもしれません。灯火類や備品のスコップ、室内の小銃など非常に細かい所まで再現されていて、実に良い出来ばえです。私は軍用車のミニカーはほとんど買わないのですが、ミニカーを収集する前にはプラモデル好きで、プラモデルでよく見た懐かしい車だったので、つい買ってしまいました。これ以外のタイプ 82 キューベルワーゲンのミニカーはディンキーのビンテージ物、ミニチャンプスの1/18、ビテスの軍用車ブランドのビクトリア、ホンウェル カララマ(このシュコー製と同じ型を使っていると思われる)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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