ミニチュアカー ミュージアム

自動車の歴史 時代/自動車メーカー別

 

LOCOMOBILE OLD 16 1906 USA

LOCOMOBILE OLD 16
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
LOCOMOBILE OLD 16


BRUMM R020 1/43 85㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約3.7m 全幅約1.7m エンジン 変速機: 4気筒 16L 120HP 3段変速
性能: 最高速160km/h  

ロコモビル オールド 16 アメリカ 1906年

 

 アメリカのロコモビル社は1899年に設立されました。ロコモビル社が最初に製作した蒸気車は同時期に成功していたスタンレー自動車会社から技術を買い取ったものでした。(実車画像→ ロコモビル 蒸気車) 1902年には2/4気筒ガソリンエンジンを搭載した車を開発し、この車はその性能や信頼性の高さで知られるようになりました。ロコモビル社は高い信頼性の高級車を製造していましたが、1929年に倒産しました。代表的な車としては、1919年に登場した6気筒8.6Lエンジンを搭載したモデル 48がありました。(実車画像→ ロコモビル モデル 48)

 

 ロコモビル社が開発したレーシングカーは、アメリカで開催された1908年の国際レース ヴァンダービルト杯(Vanderbilt Cup)で優勝しました。国際レースで優勝した初めてのアメリカ車ということで、そのレースで着けていたゼッケン番号#16に因んで、この車は「オールド 16」という名前で呼ばれています。4気筒16L(120HP)エンジンを搭載し3段変速で、最高速160km/hの性能でした。このゴーカートのような車体で160km/hのスピードを出していたのですから、当時のレーシングドライバーは命がけの仕事だったのです。

 

 

 ミニカーは1979年に発売された初期のブルム製です。年式が1906年となっているので、1906年のヴァンダービルト杯出場車をモデル化しているようです。(1906年のヴァンダービルト杯でロコモビルは予選で優勝しましたが、本戦は中止されたようです) むき出しの運転席、リアの燃料タンクとその後ろのスペアタイヤ、後輪駆動チェーンなど、同時代のフィアットのレーシングカーに良く似ています。実車のボディカラーはこのような明るい青ではなかったようですが、この時代のレーシングカーのミニカーとして良い出来ばえです。ブルム初期のミニカーはこのような自動車黎明期のレーシングカーを十数種類ほどモデル化していました。 以下はフロント/リアの拡大画像とリアのチェーン駆動部の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

LOCOMOBILE OLD 16 1
LOCOMOBILE OLD 16 2

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RENAULT 14CV (TYPE X) 1907 FRANCE

RENAULT 14CV (TYPE X)
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RENAULT 14CV (TYPE X)


RIO 34 1/43 94㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4m 全幅約1.6m エンジン 変速機: 4気筒 3.1L 14HP 4段変速
性能: 最高速67km/h  データーベースで戦前のルノーのミニカー検索

ルノー 14CV (タイプ X) フランス 1907年

 

 1906年頃のルノーは6種類のモデルを揃えていました。それは2気筒1L/1.2Lエンジンのタイプ AX/AG、4気筒2.1Lエンジンのタイプ AM、4気筒3.1Lエンジンのタイプ X-1、4気筒4.4Lエンジンのタイプ V-1、4気筒7.4Lエンジンのタイプ AI、6気筒9.5Lエンジンのタイプ ARと小型車から大型車までそろっていました。(参照資料→ The Renault range from 1908) 

 

 このルノー 14CVは上記モデルレンジの上から4番目のタイプ Xで、4気筒3.1Lエンジンを搭載していました。4番目といっても当時としてはかなりの高級車で、特にこのミニカーの実車はフランス政府の公用車でダブル ベルリン形式と呼ばれる長距離旅行用の立派なボディが架装されていました。ベルリンとは箱型大型馬車の形式でそれが前後に二つ連結されている形なのでダブル ベルリンと呼ぶそうです。屋根には旅行用の荷物を積むルーフラックが付いています。タイプ Xは1909年に後継車のタイプ BXにモデルチェンジしました。(実車画像→ ルノー タイプ BX)

 

 

 ミニカーは1970年代に発売されたリオの初期モデルです。この当時のリオはクラシックカー専門のマニア向けブランドでした。(リオは1990年代になるとクラシックカー以外も手掛けるようになりましたが) リオのクラシックカーは細かい部品まで良く再現された手の込んだ造りで、当時のミニカーとしては最高の出来ばえでした。この14CVも金メッキされた特徴的なラジエータ、ヘッドライトなどの灯火類、キャビン窓枠、ルーフ上のルーフラックなどリアルな仕上げで、カラーリングも綺麗です。1900-1920年代のクラシックカーのミニカーは最近ほとんど作られないので、その点で貴重なミニカーでもあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

RENAULT TYPE X 1
RENAULT TYPE X 2

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FIAT F2 (130HP) 1907 ITALY

FIAT F2 (130HP)
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FIAT F2 (130HP)


DUGU 4 1/43 90㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約3.8m エンジン 変速機: 4気筒 16.3L 130HP 4段変速
性能: 最高速160km/h  データーベースで戦前のフィアットのミニカー検索

フィアット F2 (130HP) イタリア 1907年

 

 フィアット 75HPの解説に記載したように、当時の自動車メーカーは宣伝の為にレースや速度記録挑戦に熱心でした。フィアットが総力を挙げて製作したフィアット F2 130HPは、1907年の3大レース イタリアのタルガ フロリオ、カイゼル プライス(ドイツ GP)、フランス GPを全て制覇する偉業を達成しました。ドライバーは3レース全てフェリーチェ ナッザーロ(Felice Nazzaro)でした。このレースカーは4気筒16.3L(130HP)の巨大なエンジンを搭載し、1907年のフランス GP(サーキット10周770㎞)では平均時速113.612km/hで優勝しています。なお名前のF2はこの車に付けられたゼッケン番号のことで、当時はどのレースでも同じゼッケン番号を使っていたようです。

 

 1908年にフランス GPが中止になり欧州のレースは下火になり、レースの中心は一時的にアメリカでのレースになりました。このアメリカのレースでもフィアットは活躍しました。アメリカのレース用として開発されたフィアット S61はツインプラグの4気筒10L(115HP)エンジンを搭載し最高速は160km/h以上でした。S61は1911年のインディ 500で3位となり、1912年のサンタ モニカ GP(アメリカ GP)で優勝しました。また1911年のフォーミュラー リブレ(ツーリングカー改造車のレース)で行われたフランス GPでも優勝しました。フィアットはその後も第1次大戦前までレースカーを製作していましたが、あまり活躍しなかったようです。

 

 

 ミニカーは1960-1970年代に発売されたクラシックカーの専門ブランドのドゥグー製です。ドゥグーは大人のマニア向けのミニカーで、イタリアのビスカレッティ自動車博物館に保存されていた実車をモデル化していました。このフィアット F2も本革製のボンネットの固定ベルト、布張りのサイドカバー、リアの燃料タンク上の銅製の配管、後輪を駆動するチェーンなど凝った作りで、実車を忠実に再現したドゥグーの傑作ミニカーでした。特に後輪を駆動するチェーンはスケールモデル的にはオーバースケールなのですが、このサイズで実際に可動するのは秀逸でよく作ったものだと思います。(実物とはサイズが違いますが実際に動くのは面白いです) なおドゥグーのミニカーには合成ゴムのタイヤに含まれる可塑剤(有機溶剤)がプラスチック製ホイールを溶かすという問題があり、このF2もホイールが溶けてしまったので、ホイールを別のミニカーの物に交換してあります。(ホイールを交換してない物の画像はこちらにあります。→ ミニカーの材質と経年変化) これ以外のフィアット F2のミニカーはブルムの物があり、ブルムはフィアット S61もモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

FIAT F2 (130HP) 1
FIAT F2 (130HP) 2

 以下はコクピット周りと床下の後輪駆動チェーンの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
FIAT F2 (130HP) 3
FIAT F2 (130HP) 4

 以下は1978年に発売されたブルム製のフィアット F2 1907 (1/43 型番R016)の画像です。ブルム初期の物ですが、たぶん上記ドゥグー製をお手本にしていると思われ、ドゥグー製と同じぐらいの素晴らしい出来ばえです。ドゥグー製のF2と較べると、リアにスペアタイヤが追加されていて、その関係で燃料タンクが後方に移動しています。ビスカレッティ自動車博物館に保存されている実車はスペアタイヤが付いているのでブルム製のほうが実車に忠実なようですが、レースカーはレース毎に違いがあったと思われます。後輪駆動チャーン部など、スケールモデル的な観点で評価するとこのブルム製のほうがドゥグー製より優れています。ただ作られた時期を考えればこれは当たり前のことで、ドゥグー製にはスケールモデル的な物差しでは測れない魅力があります。 (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
FIAT F2 (130HP) 5
FIAT F2 (130HP) 6

 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
FIAT F2 (130HP) 7
FIAT F2 (130HP) 8

 以下は1978年に発売されたブルム製のフィアット S61 115HP 1908 (1/43 型番R017)の画像です。上述したF2をベースにして開発されたS61の初期型をモデル化しているようです。ただしこの42号車がどのレース仕様の物をモデル化しているのかどうかについては、色々と調べましたが不明です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
FIAT S61 115HP 1
FIAT S61 115HP 2

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ITALA PEKING-PARIS WINNER 1907 ITALY

ITALA PEKING-PARIS WINNER
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
ITALA PEKING-PARIS WINNER


RIO 2 1/43 105mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.5m 全幅約1.6m エンジン 変速機: 4気筒 7433cc 45HP 4段変速
性能: 最高速100km/h  データーベースでイターラのミニカー検索

イターラ 北京-パリ レース 優勝車 イタリア 1907年

 

 イタリアのチェイラーノ兄弟はイタリア自動車産業の創世記に重要な役割を果たした人物でした。1898年にジョヴァンニ バッティスタ チェイラーノとマッテオ チェイラーノが共同で設立したチェイラーノ GB&C社が自動車製造を始め、2気筒エンジンを搭載する小型車を開発しました。この会社は1899年に設立されたフィアット(FIAT)社が買い取り、開発されていた車はフィアット 1号車として発売されました。その後ジョヴァンニ バッティスタはフィアットを去り、STAR社(後にフィアット傘下となる)を設立しています。マッテオ チェイラーノは1904年にイターラ(ITALA)社を設立しました。

 

 イターラ社はレースで活躍して有名になりました。1905年に開催されたコッパ フロリオでは14.5Lの大排気量エンジンを搭載するイターラ 112HPで優勝し、1906年の第1回タルガ フロリオでも優勝しました。(実車画像→ イターラ 112HP) さらにイターラを有名にしたのは1907年に行われた世界最長の「北京-パリ」レースでの勝利でした。「北京-パリ」レースは文字どおり中国 北京を出発してシベリアを経由してフランス パリまでの16000kmを走るという壮大な冒険レースでした。(参加したのはド ディオン プートンなど5台だけでした) このレースを44日間(1日平均364㎞)で走り切り優勝したのがイターラでした。優勝車は4気筒7433cc(45HP)エンジンを搭載し4段変速で最高速100km/hの性能でした。このレースの勝利はイターラの販売に大きく寄与しました。

 

 

 ミニカーは1961年に発売されたイタリアのリオ製です。クラシックカー専門ブランドとして1961年に登場したリオのミニカーは、大人のコレクターを対象としたリアルな造形で 、当時の玩具としてのミニカーとは一線を画す画期的なものでした。これは「北京-パリ」レースの優勝車をモデル化していて、ボディに書かれた「PARIGE PECHINO」はイタリア語で「パリ 北京」の意で、運転席後方の補助席、ガソリンタンク、スペアタイヤなどのレース仕様が忠実に再現されています。現在的な感覚でみても良く出来たミニカーですが、これは60年以上前に発売されたのです。なお画像の物は1978年に入手したものですので、最初に発売されたものとはパーツの材質が変更されています。例えばボンネットの固定バンドですが、これはプラスチック製ですが、初期物は本物の皮革が使われていました。(参照ページ→ 初期の物との比較画像) ただし材質変更以外は最初に発売されたものと同じです。このミニカーは型番4002や型番4224でリニューアルして販売され、2012年にもリオの50周年記念品として特別カラーで新規に発売されています。多少型を修正したり仕上げを変更したりしていますが、たぶん世界一長期間ほぼ同じ状態で作られてきたミニカーだと思います。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

ITALA PEKING-PARIS 1
ITALA PEKING-PARIS 2

 以下は1961年に発売されたリオ製のイターラ タルガ フロリオ 1906 (1/43 型番1)の画像です。これはリオの型番1で最初に作られたもので、タルガ フロリオ仕様のイターラです。上記の「北京-パリ」レース仕様とは違って、スペアタイヤだけが付いた当時の純粋のレース仕様です。これも1978年に入手したものですので、初期物とは多少仕上げが変更されています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
ITALA 1
ITALA 2

 以下は1998年に発売されたリオ製のイターラ タルガ フロリオ 1906 (1/43 型番SL045)の画像です。型は変更していませんが、タイヤなどの仕上げを変更して、リニューアルして発売したものです。タルガ フロリオ 優勝車の#3のゼッケンの追加と当時の実車に即したホワイト タイヤへの変更で、よりリアルなミニカーとなっています。またプラスチックの台座にタルガ フロリオ レースを描いたレリーフを模した飾りが付いていました。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
ITALA 5
ITALA 6

 以下は2006年に発売されたM4製のイターラ タルガ フロリオ 1906 (1/43 型番STF01)の画像です。M4のタルガ フロリオ シリーズの1台で、2004年からM4のブランドとなったリオ製の上記のモデルを流用してフィギュアを追加した物です。(フロント グリルなど多少仕上げが違っていますが) このミニカーの魅力は当時の服装をした良く出来たフィギュアでしょう。私はこのフィギュアが気に入ってこのミニカーを購入しました。なおこのフィギュアはイタリア人ドライバーのA.カーニョ(Alessandro Cagno)です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
ITALA 7
ITALA 8

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ROLLS ROYCE SILVER GHOST (40/50HP) 1907 UK

ROLLS ROYCE SILVER GHOST (40/50HP)
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
ROLLS ROYCE SILVER GHOST (40/50HP)


MATCHBOX Y10 1/51 92mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.6m 全幅約1.75m 車重約 1.8t エンジン 変速機: 6気筒 7428cc 40HP 4段変速
性能: 最高速120km/h  データーベースでロールス ロイス シルバー ゴーストのミニカー検索

ロールス ロイス シルバー ゴースト (40/50HP) イギリス 1907年

 

 イギリスの電気技術者フレデリック ヘンリー ロイス(Frederick Henry Royce)は購入したガソリン自動車の品質に満足できず、自らで自動車の製作に着手しました。彼が製作した試作車の性能に惚れ込んだ貴族のチャールズ スチュアート ロールズ(Charles Stewart Rolls)がその車を独占販売する契約を結び、1904年にロールス ロイス社が誕生しました。初期のロールス ロイスには2、3、4、6気筒の4モデルがありました。ロールス ロイスは部品の規格化を徹底して行うことで高品質を誇っていました。1906年には自動車史上最も偉大な車であるシルバー ゴースト(40/50HP 6気筒7.4Lエンジン搭載)が登場しました。

 

 1907年にシルバー ゴーストは15000マイル(24000km)を燃料補給時以外ノンストップ、無故障で走破するという過酷な耐久試験を行いその優秀性を実証しました。この試験に使われた車が銀色に塗装され「SILVER GHOST」というプレートを付けていたことから、以後この名前が正式名称となりました。なおGHOST(幽霊)というのは音もなく静かに走ることから名付けられたようです。高度な品質管理で製作されたシルバー ゴーストのシャーシは長持ちしましたので、古くなった車はボディを載せ替えて霊柩車や軍用装甲車などに転用されました。なおロールス ロイスのフロントグリル上の有名なマスコット「スピリット オブ エクスタシー (Spirite of Ecstasy)」は1912年頃から使われ始めたとのことでこの車には付いていません。

 

 

 ミニカーは1969年に発売されたマッチボックス製のY(Yesteryear)シリーズの1台です。1960-70年代のミニカーですので素朴な造形ですが、基本的なプロポーションは良くできていました。フロントグリルのRRのロゴ、リーフスプリングのリアサスペンション、スペアタイヤなどの細部は当時のミニカーとしてはかなりリアルに再現されていました。なおヘッドライトのステーがフロントグリルから生えていますが、これはマッチボックス流の簡略化手法です。クラシックカーのミニカーを安価で提供する為に、Yシリーズはこのような簡略化でコストダウンしていました。これ以外のロールス ロイス シルバー ゴーストのミニカーは同じマッチボックスの1/55とランドレー仕様の 1/48、マッチボックスのコピーと思われるナコラル、フランクリン ミントの1/43と1/24と1/12などがあります。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

ROLLS ROYCE SILVER GHOST (40/50HP) 1
ROLLS ROYCE SILVER GHOST (40/50HP) 2

 以下はマッチボックス製のYシリーズのロールス ロイス シルバー ゴースト 1906 (1/55 型番Y15)の画像です。上記と同じシルバー ゴーストをモデル化していますが、これは上記よりも古い1960年に発売された物で、マッチボックスのYシリーズとしては初期の物です。(私が購入したのは1969年で、所有するミニカーの中でも製作時期が古い物です) 上記と同じように見えますが、縮尺が1/55なので全長80㎜と一回りサイズが小さいです。サイズは小さいですが、出来ばえは上記のシルバー ゴーストとあまり変わりませんので、1960年代のミニカーとしてはとてもよく出来ていたと思います。60年経過後の今でも塗装は綺麗でどこも破損していませんので、製造品質も優れていたようです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
ROLLS ROYCE SILVER GHOST (40/50HP) 3
ROLLS ROYCE SILVER GHOST (40/50HP) 4

 以下は1968年に発売されたマッチボックス製のYシリーズのロールス ロイス シルバー ゴースト 1912 (1/48 型番Y07)の画像です。この車は上記のオープン仕様より少し大きなサイズのランドレー形式のボディが架装されています。ロールス ロイスはシャーシのみをつくり、ボディは当時のコーチビルダーが架装していました。(ミニカーは縮尺1/48で全長97㎜ですから、実車は約4.7mほどになります) 室内のリアシートの手前には補助席(従者用)が付いていますので、高級車であることが分かります。この型番Y07と上記の型番Y10のシルバー ゴーストのミニカーは約15年間ほどの長期間作られた息の長いミニカーでした。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
ROLLS ROYCE SILVER GHOST (40/50HP) 5
ROLLS ROYCE SILVER GHOST (40/50HP) 6

 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
ROLLS ROYCE SILVER GHOST (40/50HP) 7
ROLLS ROYCE SILVER GHOST (40/50HP) 8

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