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ロレーヌ ディートリッヒ B3-6 フランス 1925年
ディートリッヒ社はフランスのロレーヌ地方(ドイツとの国境地帯)で蒸気機関車を作っていた会社で、1896年に自動車製造に進出し1935年まで自動車を生産していました。後にブガッティを設計した有名な技術者E.ブガッティを採用し、彼が設計した4気筒車はこの会社の名前を上げました。1905年から車の名前をロレーヌ ディートリッヒに改名しており、この頃には高性能な車として評価されていました。初期のロレーヌ ディートリッヒ
第1次大戦中は軍需品生産を行い、戦後に自動車と航空機エンジンの製造を再開しました。1919年に高性能な6気筒3.45Lエンジンを搭載する新型のA1-6とB2-6が登場します。この車は1922年にB3-6に発展し、そのレース仕様車は1925年ルマンで優勝と3位、1926年ルマンでは1-2-3フィニッシュで優勝しています。ルマンを2連覇したメーカーはロレーヌ ディートリッヒが初めてでした。その後も4気筒2.3L/6気筒6.1Lエンジン搭載車などが追加されました。1928年に会社は売却されて車名がロレーヌに変更されました。1935年に販売不振で自動車市場から撤退し、第2次大戦中は軍用車(装甲車ロレーヌ_37Lなど)の製造を行いました。
ミニカーはイクソ製で、2006年頃発売されました。ルマン24シリーズの1台で、1925年ルマン優勝車をモデル化しています。フロントグリルのエンブレムや内装のメーターパネルなども再現してあり、かなり良い出来ばえです。イクソは1925年と1926年のルマン出場車を数種類モデル化しています。イクソ以外ではミニチャンプスがB3-6の市販車をモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像とコクピットの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランチア ラムダ イタリア 1925年
1914年のランチア シータに続いてランチアの名前を一躍有名にしたのが、1922年に発表されたラムダでした。ラムダには当時の車として先進的な技術が採用されていました。まずボディは乗用車として初めてボディとシャーシを一体化したスチール製のモノコック構造を採用していました。次に量産乗用車として初めて前輪独立懸架サスペンションを採用していました。これは前輪の操舵軸(キングピン)全体が、車体に固定された筒の中で上下にスライドするスライディングピラー方式と呼ばれるものでした。さらにエンジンはV型4気筒で直列4気筒より全長が短く小型軽量でした。
これらの先進技術の組み合わせで、ラムダは重心が低く優れた操縦性を持ち、さらに当時の車としては車高が低く洗練されたデザインとなりました。実際に同時期のフィアット 519のサイドビューなどと比べてみるとその先進性が良く分かると思います。当初のV型4気筒2123cc(50HP)エンジンは2.4L、2.6Lまで拡大されました。ラムダは商業的にも成功し1931年までに約1.1万台が生産されました。ラムダに採用された技術はその後の自動車開発に多大な影響を与えました。
ミニカーは1960-1970年代に発売されたクラシックカーの専門ブランドのドゥグー製です。ランチア ラムダの4ドアリムジーンをモデル化しています。ドゥグーは大人のマニア向けのミニカーで、イタリアのビスカレッティ自動車博物館に保存されている実車を忠実にモデル化していました。このラムダはドゥグーのMINIAUTOTOYSシリーズの物で、当時のミニカーとしては卓越したリアルな造形でドゥグーの傑作品のひとつです。特に特徴的なスライディングピラー方式前輪独立懸架サスペンションが忠実に再現されているのは秀逸です。(ただし繊細で壊れやすいので注意が必要です) なおドゥグーのミニカーには合成ゴムのタイヤに含まれる可塑剤(有機溶剤)がプラスチック製ホイールを溶かすという問題がありました。このラムダもホイールがかなり溶けてしまったので、ホイールを別のミニカーの物に交換してあります。なおリアエンドに積んでいるスペアタイヤのホイールだけはダメージが少なかったのでオリジナルのホイールのままです(ホイールが溶ける問題の参照ページ→ ミニカーの材質と経年変化) これ以外のランチア ラムダのミニカーはポリトーイ初期のプラスチック製とトーギー(TOGI)製の1/23の大スケールミニカーがありましたが、最近のミニカーはないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ルノー 40CV ランドレー フランス 1926年
1914年に第1次世界大戦が始まり、ルノーは砲弾などの軍需品の生産を行いました。第1次大戦中にルノーのタクシーは「マルヌのタクシー」として知られる作戦で戦勝に貢献しています。第1次大戦が終わるとルノーは戦前型のモデルを復活させました。この当時のルノーは旧式の設計を変えず新技術の開発が遅れていたので、シトロエンなどの新興メーカに比べると旧態化しつつありました。例えばフロントブレーキを採用したのは大型車で1922年と他社よりかなり遅れていました。
その古い設計を代表していたのが1911年に登場した6気筒7.5Lエンジン搭載の40CV(タイプ CG)でした。40CVはルノーの最上級の大型高級車で、フランス大統領専用車としても使われました。40CVは1920年にエンジンが9.1Lに拡大されるなどの変更がありましたが、基本的な設計を変えないまま1928年まで生産されました。ラジエータをエンジンルーム後方に配置する基本設計を変えなかったので、「象の鼻」と呼ばれた特徴的なフロントノーズも長い間続きました。40CVは同じクラスの高級車(ロールス ロイスなど)よりも価格が安かったので生産台数は多かったとのことです。1928年に40CVはルノー初の8気筒エンジンを搭載したレナステラにモデルチェンジしました。
ミニカーは1960年代に発売されたソリド初期のクラシックカーシリーズの1つです。エンジンが9.1Lに拡大された後期型の40CV ランドレーをモデル化しています。1960年代のソリドのクラシックカーのミニカーは、当時としてはレベルの高いものでした。この40CVも実車の雰囲気が良く再現されています。「象の鼻」のボンネットが開くギミック付でエンジンも再現されています。バリエーションとして少しスポーティなフェートン仕様とフランス大統領車仕様があります。ソリド以外では、リオのトルペード、ノレブの大統領車仕様があります。 以下はフロント/ボンネットを開いた状態の拡大画像と室内の拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ロールス ロイス ファントム I イギリス 1926年
ロールス ロイスは1907年からシルバー ゴーストだけを作り続け、1925年までに6000台以上を販売し、その高い信頼性で「The Best Car of the World」の名声を確立しました。シルバー ゴーストは高価なため顧客は王侯貴族がほとんどで日本の皇室も1920年に2台を購入しています。そのシルバー ゴーストもさすがに性能的に時代遅れになり、1925年に後継車として登場したのがファントムでした。(なお1929年にファントム IIが登場してからはファントム Iと呼ばれるようになりましたが、これは公式の名前ではありません)
旧型のサイドバルブ式エンジンは新型のOHV6気筒 7668cc(90-100HP)エンジンに変更されました。技術的な特徴としてはギヤボックスの回転力を使った精巧なメカニカル サーボのついた4輪ドラムブレーキが採用されていることで有名でした。ファントム Iはイギリスとアメリカに製造工場があり、イギリスでは1929年まで約2200台が生産され、アメリカの工場では1931年まで約1200台が生産されました。なおイギリス版とアメリカ版ではステアリングホイールの位置、ホイールベース、変速機の仕様などが少し異なっていました。
ミニカーはマッチボックスのYシリーズで、1990年に発売されました。コーチビルダー フーパー(HOOPER)が架装した4ドア リムジンをモデル化しています。マッチボックスのYシリーズの初期の物はカラーリングや造形にやや玩具的なところがあったのですが、1980年代後期になるとスケールモデル的な造形がされるようになりました。このファントム Iも縮尺1/45と標準的な縮尺の1/43より少し小振りなのがいまいちですが、プロポーションがしっかりしていてかなり良い出来ばえです。赤茶と黒のツートンのカラーリングもロールス ロイスの雰囲気によく似合っています。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ベントレー 3L イギリス 1926年
ベントレー社は第1次大戦中に航空機エンジン設計を手がけたウォルター オーエン (W.O.) ベントレーが1919年に設立しました。1921年に発売された最初のモデル 3Lは、当時のレーシングカー並のOHC 4バルブ4気筒3L(90HP)エンジンを搭載し4輪ブレーキを備えた高性能車でした。1923年に80HPにパワーアップしたスピード、1925年に85HPにパワーアップしたスーパースポーツが追加されました。1929年まで生産され、総生産台数は約1600台でした。
ベントレーは1923年から始まったルマン 24hレースに参戦し、1924年のルマンで3Lが初優勝しました。当時の自動車レースではベンツ、プジョーなどが活躍していてイギリス車は不振でした。そんな訳でベントレーがルマンで初優勝したことはずいぶん画期的なことだったようです。当時のベントレーのレース活動を資金援助やアマチュアドライバーとしてサポートしたファクトリーチームは「ベントレー ボーイズ」と称されました。このベントレーボーイズの活躍で、ベントレーは1927年からルマンで4連勝してイギリスのスポーツカーとして有名になりました。なお1931年にベントレー社はロールス ロイス社に買収されレース活動から撤退しました。
ミニカーは2002年に発売されたイクソ製です。イクソが作るクラシックカーはいずれも出来が良いのですが、このベントレーも実車のスパルタンな雰囲気がうまく再現されていて、ホイールや泥よけフェンダーなどの細部もリアルで良い出来ばえです。フロンスクリーンの横についたクラクションが時代を感じさせます。イクソは同じ型で1924年と1927年のルマン優勝車もモデル化しています。イクソ以外のベントレー 3Lのミニカーは1960年代のコーギーがストリート仕様と1927年のルマン優勝車をモデル化していました。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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