ミニチュアカー ミュージアム

自動車の歴史 時代/自動車メーカー別

 

UNIC TAXI (12/14HP) 1908 FRANCE

UNIC TAXI (12/14HP)
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
UNIC TAXI (12/14HP)


SAFIR 27 1/43 98㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4m エンジン 変速機: 4気筒 2L 12HP 
性能: 最高速 48km/h  データーベースでユニックのミニカー検索

ユニック タクシー (12/14HP) フランス 1908年

 

 自転車製造業者であったフランス人のジョルジョ リシャール(Georges Richard)は、技術者アンリ ブラジエ(Henri Brasier)と共同でリシャール-ブラジエという名前の自動車会社を1902年に設立しました。同社の車は1905年に開催された自動車黎明期の自動車レース ゴードン ベネット カップで優勝しました。その後リシャールは同社を離れ、1905年にユニックという名前の自動車の製造を始めました。ユニックの一号車は2気筒1.8Lエンジンを搭載した小型車で、翌年には4気筒車も加わりましたが、いずれも保守的で地味な車で頑丈さが取り柄といった車だったようです。

 

 当時のユニック車は本国フランスでは人気がありませんでしたが、イギリスではタクシー用として重宝され1930年代まで使われました。第1次大戦後の1924年に4気筒2Lエンジン搭載の11CV、4気筒3.5Lエンジン搭載の16CVなどの乗用車を発表しましたが、世界恐慌で販売不振に陥り1939年に乗用車市場から撤退しトラックメーカに転向しました。第2次大戦後の1951年にシムカ傘下となりその後1960年代にフィアット傘下でユニック フィアットになりました。その後1970年代にイベコ(IVECO イヴェコ) ユニックとなり現在のイベコにユニックの名前は残っていません。

 

 

 ミニカーは1960年-1970年代に発売されたフランスのクラシックカー専門メーカーのサフィール(SAFIR)製です。ユニック初期のタクシー (12/14HP)をモデル化しています。サフィールのクラシックカーは当時のミニカーとしてはスケールモデル的なリアルな作風で、細かいところまで良く再現され、かなり良い出来ばえでした。このユニック タクシーも実車がうまく再現されていて、灯火類や操作レバーなどの細部もメッキパーツでリアルに再現されています。このタクシーには当時最新であったタクシーメーターが付いていました。客室左側ドアの手前上に付いている黒い箱がタクシーメーターで、車軸の回転数から走行距離を機械的に算出して移動距離(又は料金)を表示する構造で、現在の自動車で走行距離を表示するオドメーターのようなものだったようです。これ以外のユニックのミニカーはマッチボックスの同時代のタクシーがありますが、それ以外のほぼすべてが第2次大戦後のトラックなどの商用車です。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

UNIC TAXI 1908 1
UNIC TAXI 1908 2

 以下は上記のバリエーションで客室部分の幌を畳んだ状態のユニック タクシー (12/14HP) (1/43 型番26)の画像です。幌の状態とカラーリング以外は上記と全く同じです。なおこのミニカーは運転席右横に付いているはずのスペアタイヤが欠品しています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
UNIC TAXI 1908 3
UNIC TAXI 1908 4

 以下は1984年に発売されたマッチボックス製のユニック タクシー 1907 (1/42 型番Y28)の画像です。上記のユニック タクシー (12/14HP)と年式がほとんど同じですので同じ車種をモデル化しているようで、マッチボックスの箱の説明によるとロンドンで使われたユニック タクシーだそうです。マッチボックスのYシリーズのクラシックカーは安価でしたので、このユニック タクシーも細部が多少簡略化されていますが、当時のミニカーとしてはよく出来ていました。この車にはヘッドライトが付いていませんが、当時のタクシーはヘッドライトが付いていないのが普通だったようで、夜間走行が必要な時だけヘッドライト(灯油ランプ?)をつけたようです。このタクシーにも上述したのと同じタクシーメーター(金色の箱)が付いています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
UNIC TAXI 1906 1
UNIC TAXI 1906 2

 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
UNIC TAXI 1906 3
UNIC TAXI 1906 4

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PEUGEOT LION TYPE VC2 DOUBLE PHAETON 1908 FRANCE

PEUGEOT LION TYPE VC2 DOUBLE PHAETON
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
PEUGEOT LION TYPE VC2 DOUBLE PHAETON


RAMI 3 1/43 76mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約3.3m 全幅約1.4m エンジン 変速機: 単気筒 1045cc 9HP 3段変速 後輪チェーン駆動
性能: 最高速45km/h  データーベースで戦前のプジョーのミニカー検索

プジョー (リオン プジョー) タイプ VC2 ダブル フェートン フランス 1908年

 

 ベテラン期のプジョーで記載したように、当時のプジョーにはアルマン プジョーが「LES FILS DE PEUGEOT FRERES(プジョー兄弟の息子達)」社から独立して設立した「AUTOMOBILES PEUGEOT(オートモビル プジョー)」社が作るプジョー車と、元の兄弟の会社が1906年から作り始めたリオン プジョー車(LION-PEUGEOT)の2つがありました。1910年には両社は合併してひとつになりましたが、すぐに車を統一したわけではなく第1次大戦までは独自設計の車作りをしていました。(リオン プジョーは単気筒/2気筒エンジン搭載の小型車がメインでした) 現在のプジョーのロゴはリオン(ライオン)ですが、それはこの当時からの継承です。

 

 1906年に登場した最初のリオン プジョーは単気筒785cc(6.5HP)エンジンを搭載した小型車(全長約2.8m)のタイプ VAでした。(実車画像→リオン プジョー タイプ VA) サイズを少し大きくしてエンジンを1045cc(8.5HP)に拡大したタイプ VCもほぼ同時期に登場しました。タイプ VCはVC1を経て1909年にVC2に発展しました。タイプ VC2はホイールベースを伸ばして全長3.3mまで大きくなり、4人乗り用のスペースが確保されました。VC2にはフェートン、ランドレー、リムジン、商用バンなどのボディが架装され、約1200台が1910年までに生産されました。(この生産台数は当時としてはベストセラーでした) その後1916年まで存続したリオン プジョーは2気筒1.3L-1.7Lエンジンを搭載したV2シリーズや4気筒1.8L-1.9Lエンジンを搭載したV4シリーズを登場させました。

 

 

 ミニカーは1960年-1970年代に発売されたフランスのクラシックカー専門のラミー製です。ラミーは自動車創世記のクラシックカーを多くモデル化していて、ラミーしかモデル化していない車種も多いです。このリオン プジョーもラミーしかモデル化していません。実車画像と見較べてみると、フロントグリルの形状などそこそこリアルで、実車の雰囲気がうまく再現されています。なおミニカーでは再現されていませんが、実車のフロントグリルの上部にはライオンのエンブレムが付いていて、それがリオン プジョーを示す特徴でした。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

PEUGEOT LION DOUBLE PHAETON 1
PEUGEOT LION DOUBLE PHAETON 2

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BRASIER COUPE 1908 FRANCE

BRASIER COUPE
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
BRASIER COUPE


R.A.M.I. 32 1/43 68㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約3m 全幅約1.5m エンジン 変速機: 2気筒 1.5L 10HP 3段変速
性能: 最高速 不詳  データーベースでラミーのミニカーのミニカー検索

ブラジエ クーペ フランス 1908年

 

 1890年代にジョルジュ リシャール(Georges Richard)と彼の兄弟は自転車会社を興していました。彼らは1897年に Societe des Anciens Etablissements Georges Richard(ジョルジュ リシャール事業協会?)を設立し、ドイツのベンツ ビクトリアを真似て自動車製造を始めました。最初の自動車は水冷単気筒708cc(3.5HP)エンジンを搭載した2人乗りの小型車でした。1901年にエンジニアのアンリ ブラジエ(Charles-Henri Brasier)がパートナーとして加わり、社名がリシャール ブラジエ自動車となりました。

 

 1904年にリシャールはブラジエとの関係を悪化させて会社を去りましたので、リシャール ブラジエ自動車は1905年にブラジエ自動車に改名されました。リシャール ブラジエのレースカーは1904年と1905年のゴードン ベネット レースで連続優勝していますので、高性能だったようです。その後もブラジエ自動車は2気筒/4気筒/6気筒エンジン搭載車を発売していましたが、1930年にドライエに買収されて消えました。なお退社したリシャールはアンリ ド ロスチャイルド(Henri de Rothschild)男爵の経済的援助を得て、1905年にユニック(UNIC)自動車を創立して小型車とタクシーを製造しました。現在ユニックは商用車メーカー イベコの傘下となっています。

 

 

 ミニカーは1960年代に発売されたラミー(R.A.M.I.)製です。ミニカーには表示されていませんが、2気筒エンジンを搭載したブラジエ タイプ VL クーペをモデル化しているようです。博物館に保管されていた実車の画像をWEB上で見つけましたが、その実車を当時の技術で忠実に再現しています。(参照画像→ ブラジエ クーペ 1908) なおミニカーの底板には車名がBRAZIERと表示されていますが、正しい綴りはBRASIERなので、今回(2022年4月)当サイト内の関連する記載を修正しました。ラミーとしては後期の物で、両肩に段が付いた特徴のあるフロントグリルとヘッドライトや操作レバーにメッキしたプラスチック製パーツが使われ、当時のミニカーとしては良く出来ていました。またカラーリングも実車に即したカラーリングとなっていました。ブラジエのミニカーはこれしか無いようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

BRAZIER 1
BRAZIER 2

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LEGNANO 6/8HP 1908 ITALY

LEGNANO 6/8HP
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
LEGNANO 6/8HP


DUGU M07 1/43 68mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約3m 車重 420㎏ エンジン 変速機: 2気筒 1135cc 8HP 3段変速?
性能: 最高速55km/h?  

レニャーノ 6/8HP イタリア 1908年

 

 イタリアの技術者であったG.ギオルディ(Guglielmo Ghioldi)は内燃機関を利用した発電機などを製造する機械工場を設立しました。この工場は業績を伸ばし、1902年にイタリア北部の都市レニャーノに移転し、産業用の配電業務も始めました。その後G.ギオルディは1906年に内燃機関を搭載する自動車を製造するFIAL社(Fabbrica Italiana Automobili Legnano:イタリアの自動車工場レニャーノ)を設立しました。1906年に最初の自動車レニャーノ 6/8HPが発売されました。

 

 レニャーノ 6/8HPは水冷2気筒1.1Lエンジン(8HP)を搭載したシンプルな構造の2人乗りの小型車でした。この車はFIAL社が期待したほどは売れず、1908年にFIAL社は清算されました。FIAL社は経営者が変わりFIAL-レニャーノ社に改名され、自動車販売を継続しましたが1913年に会社は廃止されました。ただ在庫処分の為にレニャーノ ブランドは存続していましたので、自動車をあきらめていなかったG.ギオルディは単気筒エンジンを搭載したモーターサイクルと4気筒エンジンに改良したレニャーノ 9/12HPを1915年に追加して販売しました。その後第1次世界大戦にイタリアが参戦したので、G.ギオルディは本業の軍事用発電機の製造に専念することになりました。

 

 

 ミニカーは1960-1970年代に販売されたドゥグー製です。ドゥグーは大人のマニア向けのクラシックカー専門のミニカーメーカーで、イタリアのビスカレッティ自動車博物館(現在はトリノ自動車博物館)に保存されていた実車をモデル化していました。このレニャーノ 6/8HPはドゥグーの廉価版であったMUSEOシリーズの1台で、全長68㎜ほどの小さなミニカーです。博物館の実車を忠実にモデル化していて、LEGNANOのロゴが付いた特徴的な円形のフロントグリルや灯火類などがうまく再現されています。ボンネットを固定している革ベルトには本物の革が使われています。幌を立てたバリエーションもありました。なおレニャーノのミニカーはこれしかありません。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

LEGNANO 6/8HP 1
LEGNANO 6/8HP 2

 以下は同じドゥグー製で幌を立てたバリエーションのレニャーノ 6/8HP (1/43 型番M06)の画像です。幌以外は上記と同じです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
LEGNANO 6/8HP 3
LEGNANO 6/8HP 4

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BRIXIA ZUST 10HP 1908 ITALY

BRIXIA ZUST 10HP
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BRIXIA ZUST 10HP


DUGU M09 1/43 81㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約3.5m 全幅約1.5m エンジン 変速機: 3気筒 1.4L 10HP 3段変速?
性能: 最高速55km/h?  

ブリクシア ツュスト 10HP イタリア 1908年

 

 スイス出身のイタリアの技術者R.ツュスト(Roberto Zust)はミラノでガソリンエンジン車を開発し、1905年に自動車を製造するツュスト社を設立しました。最初のモデルは4気筒7.4L/11.3Lエンジンを搭載した高価な大型車だったようです。1908年に4気筒7.4Lエンジンを搭載したツュスト 28/45HPがニューヨーク-パリ間を走破する長距離レースに参戦し3位となっています。なおこのレースではアメリカのトーマス フライヤーが優勝しています。(壮大な長距離レースの概要はトーマス フライヤーの解説に記載しています)

 

 1906年にR.ツュストは小型車を製造する別会社として、イタリア北部のブレシア市(ローマ時代にはブリクシアと呼ばれた)にブリクシア ツュスト社を設立しました。この会社はタルガ フローリオに参戦したレーシングカーなどを製造しました。一番有名なモデルはブリクシア ツュスト 10HPで3気筒1.4L(10HP)エンジンを搭載した中型車でした。ブリクシア ツュスト社は財政難で1912年に生産を中止しましたが、ツュスト社はミラノからブレシア市に移転し1914年まで生産が続けられました。ツュスト社は1917年にイタリアの自動車/商用車メーカーのOM(Officine Meccaniche)社に買収されましたが、4.7Lエンジンを搭載した最後のモデル ツュスト S305は1923年まで生産されました。

 

 

 ミニカーは1960-1970年代に販売されたドゥグー製です。ブリクシア ツュスト 10HPをモデル化しています。ドゥグーは大人のマニア向けのクラシックカー専門のミニカーメーカーで、イタリアのビスカレッティ自動車博物館(現在はトリノ自動車博物館)に保存されていた実車をモデル化していました。このブリクシア ツュストはドゥグーとしては廉価版のMUSEOシリーズの1台です。ビスカレッティ博物館の実車を忠実にモデル化してあり、当時のクラシックカーのミニカーとしては良い出来ばえでした。ブリクシア ツュストはほとんど知られていないブランドですので、ミニカーはこれしかありません。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

BRIXIA ZUST 10HP 1
BRIXIA ZUST 10HP 2

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