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アウディ V8 ドイツ 1988年
アウディ 100 (C3)の上級車として、新設計した総アルミ製のDOHC V型8気筒3.6L(250HP)エンジンを搭載するアウディ V8が1988年に登場しました。ボディは100のフロントに手を加えてグリルを独立された押し出しの強いデザインになっています。電子制御クラッチ付きセンターデフによるフルタイム4WDシステムが標準になっていて、このクラスの4WD車は初めてで、4WD技術に賭けるアウディの熱意が感じられました。5段変速とアウディ初の4段自動変速機(フォルクスワーゲン製)が採用され最高速236km/hと高性能でした。
1990年のマイナーチェンジで、100 4代目(C4)がベースとなり、ロングホイールベース版も追加されました。1992年のマイナーチェンジで4.2L(280HP)エンジンが追加されました。1990年からDTM(ドイツ ツーリングカー選手権)に出場し、1991年と1992年に連続してシリーズ優勝しています。1994年に車名をA8に変更してモデルチェンジしました。このA8からアウディの車名にAが付けられるようになりました。
ミニカーは1989年に発売されたシャバック製の当時物です。プロポーションが良く、ドアミラーが付くようになりかなり良い出来になっています。ボンネット/ドア/トランクが開閉でき、ボンネット内のV型8気筒エンジンもそこそこリアルです。ただ後ろが透けているヘッドライト部分はやや興ざめです。(背面を銀塗装すれば良いのに) シャバックはDTMレース仕様もモデル化しています。これ以外のV8の当時物ミニカーはありません。(ミニチャンプス製を当時物と考えても良いかもしれませんが) 最近の物ではヘルパの1/87、ミニチャンプスのセダンやレース仕様などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームとリア/室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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オペル ベクトラ A ドイツ 1988年
1988年にオペル アスコナの後継車ベクトラ Aが登場しました。カデット Eと同じ空力を考慮した丸みのあるデザインを採用しさらに洗練されていました。(アウディ 80と同じ空気抵抗係数Cd値0.29でした) 前輪駆動車でボディ形式は4ドアセダンと5ドアハッチバックがありました。エンジンは4気筒1.4L/1.6L/1.8L/2L、DOHC 4気筒2L、4気筒1.7Lディーゼル(非過給/ターボ 日本のイスズ製)がありました。
ベクトラ Aにはオペル初のフルタイム4WDシステム(プラネタリーギヤ+ビスカスカップリング方式)を搭載した4X4が設定されました。DOHCエンジン搭載車は後輪リアサスペンションがセミトレ式に変更されており、1992年にはターボ仕様が追加されました。1992年のマイナーチェンジで、フロントグリルやリアの意匠が変更され、V型6気筒2.5L(170HP)エンジンが追加されました。イギリスではボクスホール キャバリアとして販売されました。1995年にベクトラ Bにモデルチェンジしました。
ミニカーは1989年に発売されたガマ製の当時物です。フロントグリルやボディ全体の造形が実車の雰囲気をうまく再現していて良く出来ています。ガマはこの頃からそれまでの特徴であった薄い青に着色されたウインドーが未着色になり、ドアミラーが再現され、フロント周りの造形などがよりリアルになってきました。ドア/トランク開閉ギミック付です。ガマはバリエーションでハッチバックもモデル化しています。ライセンスの関係だと思いますが、ガマ以外の当時物ミニカーはありませんでした。当時物以外では、バンガーズのセダンがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像とトランク開閉/室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トラバント P601 東ドイツ (現ドイツ) 1988年
第2次大戦後ドイツは1989年まで東西に分かれていましたが、その東ドイツの国営企業(VEB)のザクセンリンク(Sachsenring GmbH)社が生産していた大衆車がトラバントでした。ザクセンリンク社は戦前のアウトウニオン社の旧工場を引き継いでおり、その為この車は戦前に発表された前輪駆動のDKW F1をベースにしていました。2サイクル空冷2気筒500ccエンジンを横置きに搭載した前輪駆動の4人乗り小型車で、最初のモデルP50は1958年に登場しました。(実車画像→ トラバント P50)
1962年にエンジン排気量595ccのP60に、1964年にフロントグリルを設けてデザインを一新したP601に発展しました。P601の車体の一部はFRP製で600kgと軽量で、2サイクル空冷2気筒595P㏄(23HP)エンジンを搭載しノンシンクロの4段変速で最高速は100km/h(公称で実際は80㎞/hほど)でした。登場した当初は並みの車でしたが、ほとんど仕様変更されないことで時代遅れとなった1991年まで生産されました。総生産台数は約300万台でトラビ(TRABI)の愛称で親しまれました。東西の冷戦終結後に東ドイツの大衆車として知られることになり、その古くさい外観や仕様が東ドイツの共産主義体制を象徴するものとして有名になりました。
ミニカーは1991年に発売されたビテス製の当時物です。1990年に東西ドイツが統一されましたが、それを記念してモデル化されたものでした。プロポーションが良く、安っぽいホイールに簡素な内外装仕上げと、実車同様のそれらしい感じでモデル化されています。このような時代背景の下で製作されたこのミニカーは、作られた時代の空気を反映している当時物ミニカーの代表といえるでしょう。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内/梱包箱の画像です。梱包箱には1989年11月9日のベルリンの壁崩壊時に壁に集まった市民を撮影した写真が背景としてついていました。立て板に書かれた「Öffnung Der Berliner Mauer 9 Nov. 1989」とは「ベルリンの壁の開通1989年11月9日」という意味です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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メルセデス ベンツ 500SL (R129) ドイツ 1989年
4代目 SLクラス(R129)が1989年に登場しました。先代R107より一回り大きくなり、同時期のメルセデス ベンツに共通するスラントノーズのデザインとなりました。電動開閉式ソフトトップを装備し、車両転倒時に乗員を保護する為にロールーバーが飛び出す安全装置が付いていました。当初のエンジンはDOHC 6気筒3L(231HP)とDOHC V型8気筒5L(320HP)で、1993年にDOHC V型12気筒6L(395HP)が追加されました。
1994年のマイナーチェンジでヘッドライトやバンパーの意匠が変更され、DOHC 6気筒3.2L(235HP)エンジンが追加されました。この際に車名のSLが数字の後ろから先頭に付く形式に変更されました。(500SL → SL500) 1998年に3.2LはSOHC V型6気筒に、V型8気筒5Lも新型のSOHC V型8気筒5L(306HP)に変更されました。これらは北米の排ガス/燃費規制に対応したものでした。2002年に4代目SLクラス(R230)にモデルチェンジしました。
以下は1990年に発売されたシャバック製です。シャバックは元々はシュコーの販売代理店でしたが、1970年代に倒産したシュコーの航空機の型を引き継ぎ1980年代は1/43のダイキャスト製ミニカーも手がけていました。現在は復活したシュコーの一部門で航空機モデルを担当しています。この500SLは実車の雰囲気がうまく再現されていて、当時としては良い出来ばえでした。ボンネット/ドア/トランクが開閉するフルギミックで、ロールバーまで可動します。室内やエンジン部などの細部もまずまずの出来です。これ以外の500SLの当時物ミニカーとしてはディテールカー、ソリド(ディテールカーのOEM)、ガマなどがありました。最近の物では、ミニチャンプス、オートアート、イクソなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ザウバー メルセデス C9/88 #63 ルマン 優勝 ドイツ 1989年
ザウバー モータースポーツ AG (Sauber Motorsport AG)はスイスのレーシングカー コンストラクターで、レーシングドライバーでもあったペーター ザウバー(Peter Sauber)が1970年に創立しました。1970年に製作したザウバー C1と1973年に製作したC3は国内のスポーツカーレースで活躍しました。(実車画像→ ザウバー C1 1970) 1975年に自社初のモノコックシャシーを採用したC4、1976年にはBMWエンジンを搭載したC5を製作し、インターセリエでチャンピオンとなりました。1977年からルマンに参戦し1978年のルマンでは、2Lクラスの2位となりました。
1982年にコスワースDFLエンジンを搭載したグループCカーのC6、1983年にはBMWエンジンを搭載したC7を製作しルマンに参戦しました。1985年にメルセデス ベンツと提携し同社のエンジンを搭載したC8を開発しルマンに参戦しましたが、予選で車体が空中に舞い上げるトラブルが発生し棄権しました。C8は1986年のニュルブルクリングで初優勝し、C8の重量バランスを改良したC9が1987年に登場しました。
1988年にメルセデスは1955年ルマンでの事故以来離れていたレース(WSPC 世界スポーツプロトタイプカー選手権)に公式に復活することになり、C9はワークスチーム ザウバー メルセデスとして活動することになりました。C9は開幕戦から優勝するなど11戦中5勝を挙げ、チーム 2位となりました。なおルマンでは予選でタイヤのバーストが発生し決勝を棄権しました。1989年にはエンジンをDOHC化してパワーアップし、ボディカラーをシルバーアローと呼ばれた伝統のシルバーに変えました。C9は1989年のルマンで1-2フィニッシュで37年ぶりに優勝し、WSPCでは8戦中7勝と圧倒的に強くチーム/ドライバーの2タイトルを獲得しました。1990年にはC9の後継車C11が登場しWSPCのタイトルを連覇しました。1991年を最後にしてメルセデスは耐久レース活動を終了し、ザウバーは1993年からF1に参戦しました。
ミニカーは2019年に発売されたルマン レースカーコレクション製です。メーカーはスパーク(ダイキャスト製)で、1989年ルマンで優勝した#63をモデル化しています。ルマン レースカーコレクションは定価2540円と安価な雑誌付きミニカーでしたが、いずれも値段以上によく出来ていました。(スパークはレジン製で同じ車をモデル化していることがほとんどなので、型設計などを省略でき安く作れるのでしょう) このザウバー C9も実車画像と見比べると、プロポーションが良くカラーリングも含めて実車が正確に再現されていることが分かります。灯火類、ホイール、エアダクト、ロゴステッカーなどの細部もリアルに再現されています。 以下はフロント/リアの拡大画像と俯瞰画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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