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シトロエン ID 19 モンテ カルロ フランス 1959年
優れた乗用車であったDS/IDは大柄のボディに非力な4気筒エンジンを積んでいたので高性能とは言えず、モータースポーツには無関係の車のように思えます。しかしDS/IDはその優れた操縦性を生かしてラリーでも活躍しています。1956年からプライベータがモンテ カルロ ラリーに参戦しており、1959年にはID 19が総合優勝しています。当時のラリーはまだ市販車そのままの車が活躍できる状況だったのです。
1960年からワークスがDS 19で参戦するようになり、1961年のコルシカ ラリーや1962年の1000湖ラリーで優勝するなど活躍しています。1966年にはパワーアップしたDS21が投入され、モンテ カルロ ラリーで優勝しています。なおこの勝利は1-3位で完走したミニ クーパーが失格になったことで、4位からの繰り上げ優勝でした。その後も動力性能よりも耐久性が重視されるサファリ ラリーなどに参戦しています。1969年にはホイールベースを短縮し軽量化したラリー専用のDS 21が開発され、この車は1969年と1970年のモロッコ ラリーで優勝しています。
ミニカーはリオ製で、1992年に発売されました。1959年モンテ カルロ ラリー優勝車をモデル化しています。実車に即したカラーリングで補助灯が付いていて、当時のミニカーとしては良い出来ばえです。リオはこれ以外にもDS 19のミッレ ミリア、DS 21のモンテ カルロ、DS 21のサファリ、DS 21のモロッコ ラリーなど約20種類のレース仕様車をモデル化しています。リオ以外ではモンテ カルロやサファリ ラリー仕様車をビテスなどがモデル化しています。なお当時物ミニカーとしてはコーギーの1965年モンテ カルロ ラリー仕様車だけしかないようで、これはかなりのレア物です。 以下はリオの1965年 サファリ ラリー仕様 #30(型番SL031)と1967年 モンテ カルロ ラリー仕様 #134(型番SL069)の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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シムカ スポーツ オセアーヌ (オーシャン) フランス 1959年
シムカ 8のクーペ仕様として、シムカ 8 スポーツが1948年に登場しました。全長約4mの2シーターのクーペ/カブリオレで、デザインはピニンファリーナでした。製造はピニンファリーナから派遣された作業者が行ったそうです。当初は4気筒1.1L(32HP)エンジンを搭載していましたが、1951年からアロンドと同じ1.2L(50HP)エンジンに変わり4段変速で最高速140km/hの性能でした。1952年にシムカ 9 スポーツが登場し生産中止となりました。生産台数は約5000台でした。(実車画像→ シムカ 8 スポーツ 1948)
シムカ 9 スポーツは全長約4.26mの2シーターのクーペ(1955年にカブリオレが追加された)で先代と似たようなデザインでしたが、デザインはピニンファリーナではなくコーチビルダーのファセルとシムカの合作でした。50HPにパワーアップしたアロンドの4気筒1.2Lエンジンを搭載し、4段変速で最高速140km/hの性能でした。1955年まで生産されましたが、生産台数は約1500台でした。(実車画像→ シムカ 9 スポーツ 1953)
1956年に大きなパノラマウィンドーでデザインを一新したクーペのプラン シエル(PLEIN CIEL)とカブリオレのオセアーヌ(OCEANE)が登場しました。このボディはコーチビルダーのファセル製でした。エンジンは1.3L(57HP)に拡大され、4段変速で最高速140km/hの性能でした。1959年にフロントグリルがアロンド P60とよく似た開口部の大きなデザインに変更されました。1962年まで生産され生産台数は約1.1万台、後継車はシムカ 1000 クーペでした。
(実車画像→ シムカ アロンド クーペ/カブリオレ 1957)
ミニカーは1959年に発売されたソリド製の当時物です。アロンド P60に似せたフロントグリルを持つ1959年式をモデル化しています。1960年代のミニカーですから素朴な作りですが、オセアーヌの魅力的なデザインを良く再現していて、当時のミニカーとして良く出来ています。なお本来は座席に女性ドライバーのフィギュアが座っているのですが、これは欠品しています。これ以外のシムカ スポーツのミニカーはノレブ初期のプラスチック製当時物と最近の物、ディンキー(仏)の当時物、ノスタルジーなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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シトロエン ID 19 サファリ アルペン 救助車 フランス 1960年
1958年にDSシリーズにワゴン形式のブレークが追加されました。(アメリカではワゴン、イギリスではサファリ又はエステートと称する) ブレークのリアゲートは上下2分割式で、折り畳める後席の背後に横向き対座補助席2座が付いた7/8人乗りです。補助席が無い商用車仕様はコメルシアル(COMMERCIALE)と呼ばれ、後席を畳むことで3人乗りで500kgが積載できる広い荷室になります。3-3-2座の3列シートで8人乗りのファミリアール(FAMILIALE)は家族向け乗用仕様で、中央の2列目は個別に折り畳める補助席になっていました。
当初は廉価版のIDだけでしたが、後にDSにもブレークが設定されています。DS/IDのブレークは全長が約5mもあるので荷室が広く、乗用車としての性能も優れていたので人気がありました。油圧式の自動車高調整機能は荷重による姿勢変化が無く、停車中は車高が下がるので荷物が積み易いというメリットもありました。また前席2座、後席1座の3人乗りでストレッチャーを積載できる救急車仕様もありました。
ミニカーはコーギー製の当時物です。イギリス名のサファリで、アルペン山岳救助車をモデル化しています。屋根にスキーと雪ソリが積んであり、救助隊員と救助犬(セントバーナード)の良くできたフィギュアが付いています。コーギーが最初にブレークをモデル化したのは1963年の型番436のサファリで、ブレークの特徴である折り畳める後席を再現したギミック(底板のダイヤルで操作する)がついています。その後スキーヤーのフィギュアを付けた冬季オリンピック仕様(1964年インスブルックと1968年グルノーブル)などがバリエーションとして作られ、このアルペン 救助車は1970年に作られた最後のバリエーションでした。全てのバリエーションを合わせると約150万台以上が作られています。(昔のミニカーは生産台数が多いのです) 以下は後席を折りたたむギミック動作とフィギュア/ルーフの装備の拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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シトロエン H 1200kg フィリップス 販促車 フランス 1960年
シトロエン Hの標準的なボディーはバンとピックアップの2タイプでした。前輪駆動方式を採用しているので荷室部の後輪は簡単な構造にできました。したがって広大なスペースの荷室は様々なボディを自由に架装でき、各種貨物車をはじめ救急車、消防車、ポリス、レッカー車、ピックアップ トラック、移動販売車、マイクロバスなどたくさんのバリエーションがありました。 フランスでは「豚の鼻」の愛称で呼ばれていました。
シトロエン Hはミニカーでも様々な種類の商用車がモデル化されています。 画像はディンキー(仏)製で、家電メーカー「フィリップス」の移動販促車をモデル化したものです。フロントウインドーが2分割の初期型なので、1960年頃の車と思います。右サイドとリアのゲートが大きく開き、荷室内には冷蔵庫やトースターらしき家電品が並べられています。当時こんな風に凝った商用車のミニカーは珍しかったので人気がありました。(程度の良いものは今でも数万円はします) 同じ型のディンキー(仏)のポリス仕様も人気があります。
シトロエン Hの当時物ミニカーとしてはディンキー(仏)、CIJ、JRDあたりが有名です。(なおCIJやJRDは滅多にお目にかかれないレア物ですが。。。) 新しいものとしてはマッチボックスのYTFシリーズ、エリゴール、ノレブ(1/43、1/18)、ソリド(1/43、1/18)、ブッシュ(1/87)などたくさんあります。日本のものではトミカや前述したトミカ ダンディの外国車シリーズのH バンがあり、どちらも販促用特注品などのバリエーションがたくさんありました。毛色の変わったものとしては、ポピー製のルパン 3世のキャラクター物があり、これも結構面白いです。 以下はディンキー(仏)のフロント/リアの拡大画像と右側面の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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パナール PL17 フランス 1960年
パナール ディナ Zは1960年にスチール製ボディを全面的に採用してデザインを変更し、PL17に名前が変わりました。このPLとは自動車黎明期に名声を博した「パナール ルバッソール」のイニシャルで、17とは2気筒、4段変速、5ドア(トランクリッド含む)、6人乗りの数字を足したものということらしい?です。(これ以外にも17になるこじつけがあります) PL17の登場と同時に50HPに強化したエンジンを搭載し最高速145km/hの高性能版ティグル(TIGRE:虎の意)も追加されました。 4ドアセダンと4ドアブレーク(ワゴン)、2ドアカブリオレがありました。
この車のヘッドライト上のひさしのような飾りは当時の流行で、シトロエン アミ 6にも同様の飾りがついていました。1963年のマイナーチェンジでこのひさしはなくなり、テールライトが横長に変わりました。1964年から名前のPLが外されて単に17となりました。1965年にパナールの自動車部門がシトロエンに完全に吸収されたことで17は生産中止となり、後継車の24にモデルチェンジしました。総生産台数は約16万台でした。PL17 ティグルは1961年のモンテ カルロ ラリーで1-2-3フィニッシュで優勝していますので、PL17は総合的に優れた性能だったようです。
ミニカーは1960年に発売されたディンキー(仏)の当時物です。1960年代のビンテージミニカーなので素朴な作りですが、プロポーションはしっかり出来ています。(経年変化で若干塗装が荒れてます) これ以外のPL17の当時物ミニカーはノレブ初期のプラスチック製のセダン/ブレークがあり、当時物以外ではエリゴールのブレーク、ソリドのセダン/カブリオレ、イクソのラリー仕様、ノレブのセダン/ブレーク/カブリオレなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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