ミニチュアカー ミュージアム

自動車の歴史 時代/自動車メーカー別

 

OLDSMOBILE CURVED-DASH RUNABOUT 1902 USA

OLDSMOBILE CURVED-DASH RUNABOUT
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
OLDSMOBILE CURVED-DASH RUNABOUT


MINIALUXE 13 1/43 62㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約2.7m エンジン 変速機: 空冷単気筒 1563cc 7HP 2段変速
性能: 最高速32km/h  データーベースで戦前のオールズモービルのミニカー検索

オールズモービル カーブド ダッシュ ランナバウト アメリカ 1902年

 

 技術者 ランサム E オールズは「オールズ モーター ビークル」社を1897年に設立し、4輪自動車の生産を始めました。1899年にこの会社は買収されて「オールズ モーター ワークス」社に変わり、デトロイトに自動車製造工場を建てました。これがアメリカ最古の自動車ブランド「オールズモービル」の誕生でした。1901年に自動車としては初のアセンブリーライン大量生産方式を採用したオールズモービル カーブド ダッシュを発売しました。この車は2人乗りの小型車で、水冷単気筒1563cc(5HP)エンジンを後部に搭載し、2段変速で最高速32km/hの性能でした。実用的で安価な車で、1907年まで生産され、総生産台数は約19000台でした。なお名前のカーブド ダッシュとは車体前部の泥除け部分(ダッシュボード)が丸く湾曲していることから付けられた愛称です。(実車諸元の参照画像を見れば納得できます)

 

 「オールズ モーター ワークス」社は1908年にビュイック社をベースにして設立されたGM(ジェネラル モータース)社に売却され、GMの2番目のブランドとなりました。オールズモービルは1954年の98シリーズや1966年のトロネードなど名車がありましたが、残念ながら2004年にブランドが廃止されました。 なおオールズモービルの創立者ランサム E オールズは新しい経営者と対立し、1904年に会社を辞めて「レオ(REO)モーター」社を創立しました。レオ社は乗用車/トラック/バスを製造し、1975年まで存続しました。

 

 

 ミニカーは1960-1970年代に作られたフランスのクラシックカー専門メーカーだったMINIALUXE(ミニオール)製で材質はプラスチックです。MINIALUXEはクラシックカーに付き物の灯火類や操作レバーがきちんと別パーツで取付けられているなど、当時のミニカーとしてはリアルな造形でした。このカーブド ダッシュも実車の雰囲気がうまく再現されていて、赤/黒のカラーリングが綺麗で良く出来ています。この時代のアメリカ車がモデル化されるのは珍しいのですが、アメリカ最初の大量生産車で個性的な外観なのでモデル化されたのだと思います。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

OLDSMOBILE CURVED-DASH 1
OLDSMOBILE CURVED-DASH 2

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FORD 999 RACING CAR 1902 USA

FORD 999 RACING CAR
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
FORD 999 RACING CAR


RIO R015 1/43 98mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約3.8?m 全幅約1.4m エンジン 変速機: 4気筒 18.9L 80HP 
性能: 最高速 不詳  データーベースでフォード 999のミニカー検索

フォード 999 レーシングカー アメリカ 1902年

 

 フォード自動車を設立したヘンリー フォードは個人的な趣味として自宅で自動車を製作していました。彼が1898年に製作した自動車にほれ込んだ地元の材木商が1899年に「デトロイト自動車」社を創立し、ヘンリー フォードを主任技術者に雇いました。この会社は1901年に「ヘンリー フォード」社に変わりましたが、経営方針で意見が対立しヘンリー フォードは会社を辞めてしまいました。ヘンリーは自分が開発した車が優れていることを示すために、1902年に赤と黄のボディカラーの2台のレーシングカーを製作しました。赤は当時の速度記録を達成した急行蒸気機関車「エンパイヤステート No.999」にちなんで「999」、黄は「アロー(ARROW)」と名付けられました。このレーシングカーは国内レースで勝利し、その活躍をみた石炭商が資金を提供することになり、1903年にヘンリーは「フォード モータ」社を設立しました。

 

 「フォード モータ」社は資金繰りが苦しく、新しい出資者を得るために今度は速度記録に挑戦して自社をアピールすることにしました。そこでレースで破損していたアローを修復して改良し新しい999に仕立て、1904年にセントクレア湖の氷上トラックで時速147.05km/h(91.37mph)の氷上速度記録を達成しました。この速度記録車は国内を宣伝してまわり、フォードの名前を知らしめました。これで新しい出資者を得て増資することができた「フォード モータ」社は1908年に発売したT型の成功で大企業に発展していきました。

 

 

 ミニカーは1979年に発売されたリオ製です。1902年のフォード 999 レーシングカーをモデル化しています。(2台作られた赤のほうです) 剥き出しのラジエータ、4気筒エンジン、運転席の足元から見える床下の大きなフライホイール、後輪を駆動するギヤなどがリアルに再現され、かなり良い出来ばえです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

FORD 999 1
FORD 999 2

 リオ製以外のフォード 999のミニカーはEXOTOの精密ミニカー 1/18、ブルムの999 レーシングカーと999 速度記録車があります。以下は1978年に発売されたブルム製のフォード 999 1902年(1/43 型番R015)の画像です。リオと同じレーシングカーのモデル化ですが、ラジエータの形状、運転席床下部分などが違っています。レーシングカーですからレース毎の仕様変更などがあったでしょうから、どちらが正しいということでもないでしょう。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
FORD 999 3
FORD 999 4

 以下はリオ製とブルム製の999を並べて比べてみました。エンジンの細部などが多少違うのは問題ないのですが、肝心の大きさが違っています。999の実車サイズは全長145inch(3.68m)という資料(参照サイト→フォード 999のスペック)がありましたので、これを信用するとサイズはリオ製のほうが正しいようです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

FORD 999 5
FORD 999 6

 以下は1981年に発売されたブルム製のフォード 999 速度記録車 1904 (1/43 型番R025)の画像です。999 速度記録車は実車写真が少なくあまりよく知られていないので、ミニカーもこのブルム製しかないようです。(参照→ 999 速度記録車 実車写真) 999 レーシングカーとはエンジン排気管の取り回し、エンジン上にある燃料タンク、カバーの付いたラジエーター、風避けのついたコクピットなど外観はかなり異なっています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
FORD 999 7
FORD 999 8

 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
FORD 999 9
FORD 999 10

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JAMIESON 1902 USA

JAMIESON
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JAMIESON


MINIALUXE 26 1/43 78㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長3.4約m 全幅1.4約m エンジン 変速機: 2気筒 7HP 
性能: 最高速 不詳  

ジャミソン アメリカ 1902年

 

 アメリカ ペンシルベニア州の実業家(商人)であったマーク W.ジャミソン(Mark W. Jamieson)は副業として自動車関係に手を出していました。彼は1902年にジャミソンという名前の乗用車を8台製造しました。この車は小型のランナバウト(2人乗りオープンカー)で、特殊な構造の水平対向式2気筒(7HP)エンジンを搭載し後輪をチェーン駆動していました。前輪の操舵はステアリングホイールではなくレバーで行い、車輪は空気入りタイヤが使われていました。ジャミソン氏はこの車を大量生産するつもりはなく、彼の趣味として製造しただけだったようです。

 

 この車は納屋に保存されていた1台が発見されて1970年代にレストアされたようです。その車を再度レストアしたのだと思われるレストア作業について動画が公開されていて、特殊な構造のエンジンについても紹介されています。(レストア動画→ JAMIESON 1902 ROAD RUN) レストアされた車が走行する様子も動画で紹介されています。(走行動画→ JAMIESON 1902 ROAD RUN) 

 

 

 ミニカーは1960-1970年代に作られたフランスのMINIALUXE(ミニオール)製です。MINIALUXEのミニカーはプラスチック製で、クラシックカーには付き物の灯火類や操作レバーがきちんと別パーツで取付けられているなど、当時としてはリアルに作ってありました。このジャミソンも実車の画像と見較べてみると、側面の飾り板や後輪のチェーン駆動部など結構リアルに実車を再現していることが分かります。運転席背後には扉の付いたスペース(エンジンルーム)があり、その扉が開閉するギミックも付いています。(ただし扉を開けても中のエンジンなどは再現されていません) この時代のアメリカ車がモデル化されるのは珍しいのですが、見た目が個性的で程度の良い実車が保管されていたことからモデル化されたのだと思います。 以下はフロント/リアの拡大画像と後部扉の開閉動作画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

JAMIESON 1
JAMIESON 2

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MERCEDES SIMPLEX 60PS REISELIMOUSINE 1903 GERMANY

MERCEDES SIMPLEX 60PS REISELIMOUSINE
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MERCEDES SIMPLEX 60PS REISELIMOUSINE


IXO PREMIUMX PRD592 1/43 115mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.73m 全幅約1.87m エンジン 変速機: 4気筒 9.2L 60HP 4段変速 後輪チェーン駆動
性能: 最高速80km/h?  データーベースでメルセデス ジンプレックスのミニカー検索

メルセデス ジンプレックス 60PS リムジン ドイツ 1903年

 

 前述したジンプレックスは1903年に当時のダイムラー社の主任設計者であったヴィルヘルム マイバッハが設計した改良型60PSに変わりました。ジンプレックスでは一番大きな4気筒9.2L(60HP)エンジンが搭載され、名前の60PSは60HPの意味です。運転席も含めた密閉式のリムジンボディ(3列シート 6-7人乗り)を架装したこの車は、長距離旅行用に使われたようです。ルーフラックにはスペアタイヤ(丸いカバーを被せてある)やスーツケースが積載されています。この車はマイクロバス並みに人や荷物が積めることから、かなりの重量だったようで、後輪がダブルタイヤとなっています。

 

 なおヴィルヘルム マイバッハは1909年にダイムラー社を退社して戦前の高級車メーカーであったマイバッハ社を設立しています。戦後マイバッハ社はダイムラー ベンツの傘下となり、現在はダイムラー ベンツの最上級ブランドとして存続しています。

 

 

 ミニカーは2018年に発売されたイクソ プレミアムX製です。メルセデス ベンツ博物館に保管されている実車(参照画像)を忠実にモデル化しています。(ただしボディカラーは青に変えています) エッチング材で作られた精緻なルーフラックの枠、そこに積載したスーツケース、細い金モール(イクソ得意のメッキ調印刷で形成している)で飾られたボディ、そこそこ良く再現された室内などクラシックカーのミニカーとしてかなり良い出来ばえです。

 同時代のメルセデス車ではエドワード期のメルセデス 37/65HP 1908をリオがモデル化しています。(参照→ リオの37/65HP) リオのメルセデス 37/65Hとこのイクソのジンプレックスを比較すると、イクソのエッチング材の枠や細かなメッキモールの出来ばえは最近の技術が採用されていて優れていますが、それ以外はあまり遜色がありません。逆にリオの床下部分の別パーツで再現したエンジン等のメカ部は、一体成型で塗装したイクソより優れています。約50年も昔に作られたリオのミニカーが素晴らしい物であったことが改めてわかります。 以下はフロントの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

MERCEDES SIMPLEX 60PS LIMOUSINE 1
MERCEDES SIMPLEX 60PS LIMOUSINE 2

 以下はルーフラック/室内の拡大画像と底板部分の拡大画像です。ルーフラックにはスーツケースが積まれています。床下部分にはサスペンション、エンジン/変速機/排気管などが再現されています。リアホイールを駆動するチェーンが塗装されていて結構リアルです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
MERCEDES SIMPLEX 60PS LIMOUSINE 1
MERCEDES SIMPLEX 60PS LIMOUSINE 2

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MIEUSSET PHAETON 2-SEATER 1903 FRANCE

MIEUSSET PHAETON 2-SEATER
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MIEUSSET PHAETON 2-SEATER


R.A.M.I. 34 1/43 68㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約3m 全幅約1.5m エンジン 変速機: 2気筒? 
性能: 最高速 不詳  データーベースでラミーのミニカーのミニカー検索

ミュゼ フェートン 2シーター フランス 1903年

 

 1867年にクロード ミュゼ(Claude Mieusset)は、フランスのリヨンに消防ポンプを製造する会社を設立しました。同社は手動や蒸気機関/内燃エンジンで駆動する消防ポンプを製造しました。同社は世界初の3気筒ガソリンエンジンをドイツのベンツやダイムラーよりも早い時期に製造していました。1898年に製作した最初の自動車は馬車の後部にエンジンを搭載した物で、まだ馬車と同じ形をしていました。1903年にミュゼ有限会社(Soci?te des Etablissements Mieusset)を設立して自動車生産を始めました。

 

 同社のエンジンは高性能だったので、初期に生産されたミュゼはレースで活躍したようです。1903年頃には単気筒エンジンを搭載した小型車から2気筒/4気筒エンジンを搭載した中型/大型車を発売していました。エンジン性能が向上したことでミュゼは商用車やモーターボートも製造するようになりましたが、1910年に破産しました。再起した新会社 Mieusset P?re et Fils(ミュゼの息子社?)は消防車を生産しましたが、第1次世界大戦で息子のヴィンセント ミュゼ(Vincent Mieusset)が亡くなり会社は消えました。

 

 

 ミニカーは1960年代に発売されたラミー(R.A.M.I.)製です。ミュゼ初期の小型車をモデル化しているようです。ラミーはフランスのミニカーメーカーJMK社のブランドで、この車のような初期の自動車を1/43サイズでモデル化していました。実車の詳細は不明ですが、博物館に保管された実車を忠実に再現しているようです。ラミーとしては後期のモデルなので、フロントグリルや灯火類にメッキしたプラスチック製パーツが使われ、当時のミニカーとしては良く出来ていました。またラミーとしては珍しくメタリックカラー(薄赤)が採用されていました。ミュゼのミニカーはこれしか無いようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

MIEUSSET PHEATON 2-SEATER 1
MIEUSSET PHEATON 2-SEATER 2

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